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木灘日記

日記を書きます。

道理への反感

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月曜に姉の子供の入学式があるとのことで、何か贈らねばなるまいと思った。僕は他人のために物を贈るのは別に構わないのだが、何を贈るのかを考えるというプロセスが死ぬほど苦手だ。あまりに苦手なのでいっそ他人と物を贈ったり贈られたりする習慣なぞ無くなれば良いと思う。僕はこれまでの人生で明らかに贈られることの方が多かったはずだし、これからも多いので、ケチ臭い動機があるわけではないです。たぶん。

人が何を喜ぶのかなど分からない。自分が欲しいもの、喜ぶものを選ぶということもあるようだが、僕が欲しいもので他人が喜びそうなものはあまりない。ついでに僕はあまり欲しいものもない。これは別に欲がないわけではなく、金がないので欲求が去勢されているだけなのだと思うのだが、ともかくとして何か分からぬが何かを贈るべき場面なのである。

姉には先日ハムを貰った。

deepweather.hatenablog.jp

ここで何も贈らないというのは社会通念上許されないのではなかろうか。そういった空気は理解出来るが、それが同時に気に入らないという感情が湧いてくるところに僕の適応の足りていなさが表れていると思う。

というわけで、2日前の今日になってネットで何を贈るべきかを色々と見て回ってみたわけだが、どうにも全くピンと来ない。甥の小学校の入学祝いに何を贈るべきなんだ? 今どきの小学1年生が欲しがるようなものなど検討もつかない。小学1年生の親が娘・息子のために他人から貰いたがるようなものも思いつかない。

一瞬、横山三国志全巻セットはどうかと思ったが、高いし、馬鹿みたいに巻数も多く場所も取るので今時点では甥にも姉にも喜ばれなさそうだなと、思い留まった。僕は三国志をどの媒体でも読んだことがなく内容もほとんど知らないが、アレはかなり基礎教養に近いものだと思っている。

自分自身のことは今更身につくとは思えず諦めているが、小学生の低学年から横山三国志を読んでいれば中国の歴史においてそれなりのアドバンテージになるのではないだろうか。自分自身の現在の関心の方向性や知識の深度を顧みて、子供の頃にあれこれと書籍を買い与えられていればどうなっていただろうかと何度も想像したことがある。

しばらくamazonの画面を幾つも開いては閉じを繰り返しながら、やはり自分で選ぼうとするとどうしても本を見始めてしまうなと思った。しかし、僕は他人の思想や人格に可能な限り影響を与えずにいたいと思っているので、本は駄目だとなった。

んで結局、ギフトカードを贈ることにした。金額は少し悩みつつ、2万円分にした。1万では少ないように思われるし、3万では経済的にキツい。2万でもキツいと言えばキツが、まあ仕方がないだろう。

好きなものを買ってくれれば良い。甥のための何かである必要もない。好きに使ってくれ。