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木灘日記

日記を書きます。

身を捨てて浮かぶ瀬もある……? 映画『ミスター・ガラス』


「ミスター・ガラス」予告編

 

アンブレイカブル(字幕版)

アンブレイカブル(字幕版)

 
スプリット (字幕版)

スプリット (字幕版)

 

 
でびる様が映画紹介で取り上げていたので、気になって観に行くことにした。『ミスター・ガラス』は2000年の『アンブレイカブル』、2017年の『スプリット』の続編らしい。

2017年から2019年ってのは分かるが、2000年から2017年っていうのは間が空きすぎなんじゃないかと思いつつ、『アンブレイカブル』はネタバレを読んで軽く予習、『スプリット』はamazon primeの無料配信にあったので観て、お、中々おもしれえじゃんとなった。

23人分の人格を持つ男が超人的な能力を有する24番目の人格「ビースト」を呼び覚ますため、少女を生贄に捧ぐべく拉致監禁する。「ビースト」とはただの多重人格者の妄想なのか、それとも実在するのか、実在したとして、ただ人格が入れ替わっただけで超人的な能力を有するなどということがあり得るのか。物語は人格が変わると体質や使用言語など異なった特徴が発現するということを示唆しながらも、「ビースト」の存在と能力の実在を巧妙に曖昧にしたまま進展していくという、サスペンス的なテイストで面白い。

アンブレイカブル』も『スプリット』も、マーベルなどと比べると地味ながら、超常的な能力を有する所謂ヒーローやヴィランという存在の誕生を描いた物語だった。

そして『ミスター・ガラス』。過去作の予習を終え予告を観たところ、いきなり過去作の主役たちが精神病院で椅子に縛り付けられている。そして胡散臭い女医が「私の研究対象は自分のことを"スーパーヒーロー"だと思い込んでいる人だ」と言い放つ。え? マジ? といきなりハートをガッチリ掴まれてしまった。ヌルい予習程度しかしていなかった僕ですら強力に引き込まれたのだから、過去作のファンが観たら堪らないものがあったろうと思う。

過去作で誕生したヒーローやヴィラン的な存在が、実はただの精神異常者の妄想だったという切り出し。過去作を観ていると、いや流石にあの時の動きやパワーはガチでしょとなるのだが、観ているうちに少しずつ猜疑心が湧いてきた。それは主人公たちも同じで、次第に自分自身の能力に対して疑心暗鬼になっていく。ただし、ミスター・ガラスを除いて。

過去作がヒーローやヴィランという個の誕生の物語であったとするならば、本作はヒーローやヴィランという存在に関する始まりの物語だ。

アクションはめちゃくちゃ地味だし、雰囲気はずっと重苦しいし、一般的なヒーローものみたいな面白さはないけど、一捻りあるサスペンスとしてかなり良かったんじゃない?