Cork

木灘日記

日記を書きます。

達成の錯覚

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金曜の夜から来ていた両親は今朝帰った。結局連休は図書館で本を借りた以外に何もせず終了。あ、『ミスター・ガラス』も観たわ。訂正訂正。

転職に向けて色々と調べたりするべきだったのだろうが、僕は神経質且つ意志薄弱なので、普段と違う環境になると途端に何も出来なくなる人間だ。そして鳥はともかく犬がいると、構わずにはいられなくなる。何時間も犬を膝に乗せたままぼんやりとテレビを観たり、Twitterのタイムラインをリロードし続けたり、良く言えばのんびりと、僕の今の環境を考慮して客観視すると虚無このうえなく過ごしてしまう。

本当はこれをのんびりとした時間であると考えて心安らかに過ごすのが良いことなど分かっているが、僕がいまやるべきことは仕事を探すことなのである。精神的な負担や落胆や努力を避けて安易な怠惰に身を任せている自覚がある。犬を抱えながら心中は自己嫌悪でいっぱいだ。

うちの犬は二匹とも精神的にちょっと不安定なところがあって、のんは父親がいなくなると長時間クンクン鳴いているし、ぴかは縄張り意識が異常に強く、昨年同居人となったセキセイインコのことを全く仲間と認めず鳴き声が聞こえたり同室にいると鳥かごに向かって延々と吠え続ける。インコは気ままに鳴いている。

そんな状態で両親は僕にペットを預けてあちこちへ出かけていった。親戚に会ったり、墓参りだったり、伊勢神宮にお参りに行ったりと仕方がないと思うのだが、そのあいだの僕は完全にペットシッター状態だ。

犬のことは愛しているが、つい犬に構ってしまう己の意志薄弱さに自己嫌悪を抱えているところに、何時間も鳴いたり吠えたりされていると本当に精神的に参ってくる。ただでさえMP(メンタルパワー)が少ないというのに、こういったところで精神が削られるので億劫で仕方がない転職のことなど考えたくなくなってしまう。

僕は本当に追い詰められてなにもかもが駄目になってしまう、その寸前になるまで努力が出来ない人間なのだ。そうなる前に努力が出来る人間であれば良かったと思うし、いつか出来るようになればと思うが、今時点ではそうではないのだ。犬や鳥の世話をしているから、いつもと環境が違って落ち着いて過ごせないからなど、僕に言い訳のネタを与えないでくれ。「のん」と「ぴか」という二匹の犬を愛しているからこそ、犬への愛情とそれを拠り所に怠惰に身を任せてしまう己への憎しみで苦しいのだ。

日々の仕事やジョギング、こうして日記を書くこと、すべては僕にとって逃避行動なのだ。どうでもいい小さな積み重ねを続けることが、まるで自分が僅かずつでも何かに向けて前進しているかのように感じられてしまう。そうやって怒りや焦りを少しづつ発散してしまっている。本当は限界を超えて溜め込んで爆発してどうにでもなってしまいたいとずっと考えている。でもただ爆発したのでは生きていかれないのだ。単に仕事を勢いで辞める勇気がない。次を見つけておかねばという強迫観念じみた不安にまとわりつかれている。

人に会うのだって苦痛なのだ。他人に会うことが、自分の中で頑張ったこととしてカウントされてしまう。今日は他人に会って映画を観に行ったぞ、とか、今日は飯を食いに行ったぞ、とか。僕はこんな他人から見れば程度が低すぎる活動で達成感を覚えてしまう人間なのだ。理解出来るだろうか。僕は自分で自分のことが良くわからない。僕は誰にも会いたくない。