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木灘日記

日記を書きます。

久々の映画三連続でも何とかなるもんだ - 『マイ・ブロークン・マリコ』『ONE PIECE FILM RED』『秒速5センチメートル』感想

『マイ・ブロークン・マリコ』の実写映画が始まったというのを見かけたので、躊躇を感じる前に予約してしまうか、と映画館サイトに飛んだところ今日はファーストデイであるらしい。

日頃曖昧に生きているので、そうか、今日はファーストデイなのか、と予約をしようとしたのだけれど、せっかくなのだから他にも何か観ようかなと思って『ONE PIECE FILM RED』も観ることにした。
そして新海誠の新作の封切りが近づいた為か上映されていた『秒速5センチメートル』のチケットもあったので、これも取った。


■『マイ・ブロークン・マリコ

あまり漫画原作の実写化映画を観ないのだが、案外それなりに楽しむことができたと思う。

とはいえ漫画的な台詞回しと日本映画的演劇風演技が合わさったくどさ、わざとらしさみたいなものはあるよな。
主人公が絶叫する場面が多いのだが、そこでかなりの割合で金切り声に近い高音が混じるのがヒステリックに聴こえるのも辛かった。

あと漫画とは違って現実の人間は常に動いているので、身体を動かしたり台詞を喋ったりするたびに表情にも細かな変化が発生してしまう。ブロークンなマリコが漫画の中で時々その内心が分からなくなるような表情で描かれていた場面について、マリコの俳優は場面や台詞に表情が引きずられており、良くないわかり易さが出てしまっているように感じた。

いや、ちゃんと楽しみました。フラットな感じよりは確実にプラスに寄ってます。
マキオの役者が良かった。

■『ONE PIECE FILM RED』
入場時に本を2冊も渡されたものだからギョッとしてしまった。ファーストデイの1200円しか払ってないんですが……。
とにかく始まる前からコンテンツのパワを感じた。

内容としては色々と評判を聞いてはいたものの、思った以上に良かった。
サブスク系で配信されている過去映画は幾つか観てはいたけれど、それらはあまり記憶にないというか集中できなかったというか、総じて観終わった直後からあっという間に記憶や印象が消えていく感じで揮発性が高いコンテンツだな、という印象だったのだが、今回は当分記憶にも残るだろう。

終わったあとにはすっかりウタのことも気に入ってしまっていた。事前には見た目的に結構キツいものがあるなと思っていたのだが、映画が始まってからはもう全然、まったくそんな考えは吹き飛んでしまったのだった。メカクレ属性を引き継いだベガパンクのこと、信じてるからな。

能力で苦しみや悲しみのない新世界を作ろうとして上手くいかなかったウタを経て、同じく新世界を作ると宣言するルフィの最後の台詞が「海賊王におれはなる!」なのはかなり突っ込んできてるな、と思った。

危うく腕組みをしながらサブスク配信まで待つところだったので、皆もっと騒いでくれよと思った。騒いでたか。

■『秒速5センチメートル
いまだに新鮮な気持ちで傷つくことができる。
観るたびに当時ミニシアターへ事前情報を一切取らずその日最後の上映で観に行き、終了後に何をされたのかまったく理解が出来ず、翌朝一番早い上映で再度観たことが思い出される。

IMAX上映だったのだが、音に対しては鈍感も良いところなので音響の良さはよくわからなかった。
ただやはりこれは劇場で観るべき作品だな、と思う。

劇場の巨大なスクリーンで観るからこそ、その物理的サイズに牽引してもらい壮大っぽい感傷を覚えることができるのであって、ご自宅のテレビ・モニターで観たところで得られるのは、駄目な風俗に入ってしまい頑張って頑張ってやっとの思いで薄ら寒い射精をさせられたような、情けなくしみったれた感傷に他ならない。と思う。


一度に三本も劇場で映画を観るような真似はもう随分久しぶりだったが、どれも集中して観られた。どれも上映時間が短めであったことが功を奏したような気もする。
そんなところ。

父ト和解セヨ‐『BLACK SHEEP TOWN』感想


待ちに待った瀬戸口廉也の新作だぜ。
一時期音沙汰がなくなって心配したぜ。
ネタバレもあるので注意されたいぜ。

というわけで『BLACK SHEEP TOWN』である。途中若干きな臭い雰囲気を感じたものの無事に発売してよかったよかった。

皆さん買いましたか? 買ってないなら今買いましょう。

よし、買ったな。

設定的にはマフィア物と異能バトル物が混じっていてキャッチーな感じできたな、と思ったのだが、異能バトルの方はAタイプやBタイプ、グレートホールなどの設定についてさほど深掘りする感じではなかったので、そういった部分にはあまり重きを置いていなかったのかなという印象。


暴力や救いのない境遇のなかでの愛や人間の気高さ、みたいなことは過去作でもやってきたことだが、今回はマフィアの抗争がそういった舞台になっている。

異能要素についてはアクション的な目的ではなく、どちらかというとノーマル、Aタイプ、Bタイプという分類には人間同士の争いを描くに際して、人種以外の要素で分断される人々を描こうと試みた結果であるように思った。
異能の発生源とされるグレートホールはかなり暗喩っぽさがあり、人間の心とか精神とか呼ばれるものがどこからくるのか、みたいな話のように読んだ。人の心と同じように理解不能な深淵であり、そこにある理由もなく、しかし存在は頑として疑いようもない、というものである。
グレートホールの影響によって発生した異能・異形を持つ人々は、Y地区の外、Y地区の中、ボーダーと己に合わせた居場所を見つけ、そこで互いに折り合いを付けつつ何とか生活しているのだが、しかしその中でも特に逸脱した者は穴への回帰を願う。
様々な問題を抱える人々について、多かれ少なかれ人間誰だって欠陥を抱えているのだし皆同じようなもんでしょう、という公平な眼差しと、とはいえ現実的には各々仕方なしに己を弁えつつ息苦しく生きていくしかない、という思想的な部分に滋味を感じる。

そんな感じで設定的にはエンタメ性の強いものをエンチャントしつつ、重心は結構違うところにあるというか、瀬戸口廉也濃度は十分に高いなと思った。

個人的には主人公と父親の関係性に纏わる描写が一番好きな部分であり、印象も強い。
瀬戸口廉也作品の父親像には明らかに一貫するモデルがあるが、そういった無粋なことは書かないでおこう。

謝亮と父親クリスの和解。

「すまない。そして、ありがとう……」
 その言葉を聞いたとき、僕は目の前がぼやけた。
 なんでこんなにぼやけるんだろう?
 ああ、僕は涙ぐんでいるんだと、気がつくまで少し時間がかかった。気が付いたら恥ずかしくてしかたなかった。
「もう時間だ。そろそろ、お別れの時間だ……」
 いまここで席を離れれば、もう意識のある彼と、二度と話すことはないかもしれない。何か伝えなければいけないことがあったはずだ。言いたいことがあったはずだ。しかも、両手で抱えきれないほどたくさん。
 それはわかっていたのだけれど、僕はもう、これ以上ここにいることが出来なかった。
「じゃあ、さようなら、父さん」
 僕が泣きじゃくる子供みたいに顔を拭いながら言うと、
「あとを頼む。これからはお前の時代だ」
 ありがたいことに、弱った父はそんな僕の様子に気がつかなかったようで、目を閉じたままそう言った。


小説『CARNIVAL』での木村学と父親の和解。

「私を、許してくれるのか?」
 すがるような目つきで僕を見つめている。僕はその弱々しい態度が見ていられない。
「別に。ただ、罪悪感で自分自身を苦しめちゃう人とか、そういうものが少しでも世の中にあるのが、嫌になっただけですよ」
「しかし」
「いいですか、死んだ人間は永遠に許してくれない。でも、生きている人間同士なら、許し合うことが出来るんだ。それは素晴らしいことだと思いませんか」

【・・・】

 なんだか、涙がボロボロとこぼれてきた。
「生まれてきて本当に良かった」
 今なら自然に言えるかもしれないと思って、試しにそう言ってみた。言葉だけ浮いてしまうんじゃないかと心配していたけれど、驚いたことに、つられて父さんも泣き出してしまった。


物語の結末については、ほとんど呪縛のようになってしまった父親から託された龍頭としての役割を、多くのものを犠牲にしながらも自分なりに果たしきったことで謝亮はようやく父親と真に決別することができ、己自身の人生を生きることができるようになったというかたちで、綺麗な幕の閉じ方だと思う。
まあ、でも、それにしても色々な意味で父親の比重があまりにも大きくないか、という感もないではないけれども。

木村学は和解の直後、感動と喜びのなかそれらが失われる前に自ら命を絶ったが、謝亮は和解を経て父親の遺志を継ぎ、苦しみながらもそれを全うしたうえで最後には人生をやり直す機会を与えられていて、その辺りの和解後の差異も『CARNIVAL』のオタクとして感慨を覚えた。

システム的な部分で言うと、ゲームとしての体裁のためにシナリオを読み進める順番をある程度自由に選択できるようにしているのだろうとは分かるものの、正直余計なノイズになっているなと感じた。
元々分岐のない一本道のシナリオなのだから、本来想定される正しい順番があるはずだし、読み進める順番をプレイヤーが中途半端に選べることにはメリットはあまり無いように思うというか、むしろ順番によってはマイナスに働くことさえあるんじゃないだろうか。
僕は最初の方は一つシナリオを選んではアンロックされる限り気になるルートをひたすら進めるというやり方をしていたのだが、途中でどうも違和感を覚えて日付の順に読み進めるスタンスに変えた。
あとは音楽鑑賞モードとシナリオのアイコン選択時にあらすじが表示されると良かったな。

シナリオのボリューム的にはかなりのものだし、これが2800円というのは大変お得であるので、売れることを願うばかり。
が、宣伝がサッパリ過ぎるので売れているのか少し心配でもある。宣伝についてはどうにかした方が良いと思う。
瀬戸口廉也ファンに口コミ等による宣伝効果を期待してはいけません。

んで、『BLACK SHEEP TOWN』の発売から間もない本日、次作の発表があって驚いた。


次作はANIPLEX.EXEから発売らしい。以前そこのプロデューサーが熱量のある人だというのを何かの記事を読んだことがあるので、広報やら展開にも結構期待ができるのかもしれない。
瀬戸口廉也の新作が2年連続で読めることにまだちょっと現実味がないのだが、嬉しいことだな、ということで楽しみにしておきたい。

 

以上。

平方イコルスン『スペシャル』 完結記念トークイベントへ行く

去る8/21日曜、夕方を過ぎて阿佐ヶ谷駅に降り立った。

阿佐ヶ谷ロフトにて平方イコルスンスペシャル』の完結記念イベントが開催され、それに参加するためである(尚、画像の看板では日付が豪快に一ヶ月誤っている)。

僕は随分前に阿佐ヶ谷に住んでいたことがあって、阿佐ヶ谷ロフトのある商店街も馴染み深い。元々大変な賑わいのある商店街だったが、なんか以前よりも更に人通りが増えているような気がする。
ちょっと早めに着いたので少し商店街を見て歩いていると、僕が住んでいた頃にもあった飲食店や食料品店の多くが以前のままに営業を続けていて懐かしい。夏になると頻繁に通った不揃いのゴーヤが異様に安く手に入る八百屋も健在であった。

近くの喫茶店でしばらく時間を潰してから再度阿佐ヶ谷ロフトの前へ行くと、すでに10人くらい並んでいた。
中は自由席で、整理券の番号順に入っては各々勝手に空いている席に座るスタイル。僕はそこそこ早い番号だったので、前の方に座った。イベントということで客側は知り合い同士のグループで来ていたりする者も多いのだろうと思っていたのだが、案外単独客が多いようで、そういうもんかと思った。

チケットは追加分も売り切れたそうでそれ自体は大変良いことなのだが、人の密度には中々閉口してしまう感じで、2~3人で使うようなテーブル1台に対して椅子が6脚くらい充てがわれている。ここで何らかの疾病を得たら言い訳が聞かないぞ、と思いつつファーストオーダーのビールを啜った。

登壇者が出てくるまではステージの写真を撮っても構わないということだったので、こんな感じ。

極めて簡易ながらもイベントのオリジナルメニューもあるぞ。
飲食物の内容ではなく、メニュー表自体に価値があるタイプです。

またここでは各種ガソリンを注文するとレギュラー/ハイオクでそれぞれ異なるペーパーが貰えるというシステムまで実装されており、至れり尽くせりやないか、という感じであった。
が、このシステムはペーパーがドリンクの配膳と共に供される仕組みであったため、登壇者への差し入れ注文では客の方にスタッフが来ずペーパーの配布も忘れられるという致命的なバグがあり、僕は死んだ。

んで、肝心のトークイベントの内容であるが、配信が日曜日まで観られるらしいのでこちらを参照されたい。以上。


……と終わらせるのも己の備忘としてここに綴る意味がなかろうという感じなので、もう少し書いておく。

まずは今回『スペシャル』の完結記念のイベントであるので、基本的にはその話題に終始するのだが、作品内容に関する解説や設定への言及は基本的に避ける感じで、個人的には良いことだなと思った。

個人的な考えとして、読者はあくまで作品として発表されたものからのみ内容を読み取り想像するのであって、作品の外での解説はそれが例え作者自身によるものであったとしても、好奇心が満たされてスッキリした気分になったりはするかもしれないが、作品がもっと面白く感じられる方向には基本的に働き得ないのではないかと思っている。
これは作者に対する信頼の問題でもあるとは思うが、作中で明らかにされないことはそれを明らかにすることよりもその作品にとって良いと作者が考えているからこそ明らかにされないのであって、明確にされた部分と伏せられた部分、そのあわいにある曖昧な辺縁から漂ってくるものが読者を惹き付ける魅力となることはままあるし、『スペシャル』も間違いなくそういった魅力を備えた作品だと思う。

まあ、そこまで考えていなかったとか、後になって軌道修正をした結果の歪みであるとかの場合もあるのだろうが、基本的には作者は読者よりも作品のことを考えているので、信頼できる作者に対しては描かれたものこそが十全の状態であるというのに全ツッパしてやっていきたい。

という感じで、作品内で明確には語られなかった部分についての謎が開陳されたり解説が加えられたりといったことはなかったのだが、代わりに漫画を通して何を描こうとしているのかとか、幼少期に読んだ絵本に影響を受けたとか、平方イコルスン自身の創作に関わる話が色々と聞けて大変良かった。

QAコーナーでは本作のイメージソング的なものがあるか、という問いに対して、This is the Kitの「Bullet Proof」、そしてローラ・ギブソンの「Empire Builder」の名前を挙げていたのが特に良かった。
「Bullet Proof」は本作の最終話のタイトルにもなっているし、「Empire Builder」は全体を通しての本作のイメージソング的なもの、というような感じのことを言っていたと思う。

This is not an escape
But I don't know how to hold somebody without losing my grip


ゲストで登壇していた位置原光Zも漫画家と読者、両方の目線でトークを促して盛り上げようとしているのが見て取れて、えらすぎる……と思った。めちゃくちゃ緊張していると言って最初は口の重かった平方イコルスンが徐々に色々と考えを話してくれるようになっていったのは氏のおかげであろうし、何より楽しそうに喋っていたのでこちらも楽しかった。
ちなみに僕は位置原光Zの漫画単行本もすべて持っており、本棚の一番良い列で平方イコルスンの書籍の隣に並べていたりするので、今回のゲストは完全に俺得な采配であった。

事前に10枚も描いてきたという色紙は残念ながら当たらなかったが、内容はすべて見ることができた。
1オーダーごとに抽選券が1枚もらえて且つ客の飲食が増えるほど登壇者にも還元されるという仕組みだったので、差し入れを含めて色々と注文を入れたものの、登壇者の席には飲みきれぬ差し入れのドリンクが溢れており、共用のテーブルにあまり己の飲食物を並べるのもな……みたいな自制心が働くので次の機会があれば空腹で臨みたい。

また、今のところ平方イコルスンは次作の予定なども完全に未定らしい。楽園で引き続き読み切りはコンスタントに掲載されるのだとは思うが、もうちょっと頻繁に読みたい。また「絵を描くのが大変なので原作をやりたい」というようなことも言っていたが、僕は平方イコルスンの絵が好きなので、苦しみながらでも描いてくれや……! と心の中で叫んだ。

幼少期に読んだ絵本の話とか、自分が内面に抱える重いものを作品を介して他者にも共有しようとしているとか、興味深い話がたくさんあったので、関心のある人は配信チケットで視聴してみると良いと思う。
そして平方イコルスンはちょっとアーミル・カーンに似ていると思う。

以上。

バナナクッションと腹筋

いきなり汚い画像を載せてなんだという感じだが、これは所謂バナナクッションと呼ばれているらしいもので、僕の椅子において太ももの裏側をサポートしてくれる緩衝材である。そして写真に写っているのと反対の面はもっと汚い。

数年前に購入してからそのまま使っていたのだが、先日ふとした拍子に本来の所在から脱落しているところを発見した。どうやら素材の劣化に伴い椅子本体と接着していた両面テープの効果が弱まった結果らしい。

それにしても取り外してみてびっくりするくらい汚いものだから、びっくりしてしまった(トートロジー)。
で、さっそく交換品を注文して入れ替えをしたところ、座り心地が大幅に改善され、更に若干心の片隅に引っかかっていたことも些か解消した。

ここしばらくの実感として椅子に座っているとき徐々にお尻が前方にずり下がって行く感じがあって、気が付けば物凄い姿勢になっていたりしたので、これは腹筋をはじめとする己の肉体の劣化故とばかり思っていたのだが、まあ実際にはそれも幾らかは正しいとして、その姿勢の問題はバナナクッションを交換したところかなり改善されたのである。

交換したクッションは交換前のカステラ並の強度までヘタレたものと比較して明確な立体形状と硬さがあり、座ってみると椅子の縁部分で僅かに太ももが持ち上げられることで身体が椅子の前方へ滑っていくのを防いでくれることがわかった。
買った当時はどうだったか……恐らくはメッシュの張りなどもあるし今よりも快適な座り心地だったのだと思うが、あまり思い出せない。
とはいえ一部分とはいえ交換をしてみて座り心地が結構変わったな、というのは事実である。

単に座り心地への影響しかないと思っていたから、交換をしてみて姿勢維持にも恩恵があることがわかって良かった。己の腹筋への失望も多少は和らいだことだし、これなら一年に一度くらいの頻度で交換しても良いかもしれない。


そんなところ。



……と、平方イコルスントークイベントの現地チケットが先日売り切れていたのだが、どうやら若干数の席追加が行われたらしい。
販売開始は18日正午とのことで、現時点ではまだ売り切れ表示のままなので注意されたい。

甥は盆踊りというものに行ったことがないらしい

近所の神社で御祭禮をやっているらしいというのを町内の掲示板で見かけたものだから、散歩がてら寄ってきた。

以前は同時に盆踊りも行われていたらしいのだが、ここ数年はそちらは開催されていないのだと言う。
御例祭も昨年までは神事のみを行うに留まっていたようだが、今年は神社側が屋台の復活を大々的にアピールしており、さほど広くない敷地内の駐車場スペースには屋台が20軒ほどぎっしりと軒を連ねて大層な賑わいだった。

もうずっと祭りなんかの屋台で物を食べた記憶がなく、食べたいともあまり思っていなかったのだが、朝から殆ど何も食べずにいたことと、なんとなくご時世的に中々ない機会だなという気持ちがあり、たこ焼きを買って食べてみることにした。

20分ほど並んで手に入れたたこ焼きの味はまあ、屋台のたこ焼きはこんなもんだよな、という感じで、美味しくもなく、不味くもない……というには結構不味い寄りの、まさしく丸い形をしたソース味の小麦粉の塊であった。

縁日の屋台の食べ物を避けていたのは衛生的な問題だけでなく、食べたあとの気分が差し引きちょっとマイナスになるからだということも思い出したりした。縁日では賑々しい雰囲気のなかで何か食べたいな、何を食べようか、みたいなことを考えながらあちこち覗いているときが一番楽しい。

店主からソースで汚れた軍手でもって手渡された釣り銭の千円札にはっきりとしたソースの染みを認めて、これでまた当分縁日の屋台でものを食べなくて平気になったな、と思った。

人の多さも尋常ではなくなってきたし、さあ帰るか。

久々に書くことと言えばこれしかあるまい - 平方イコルスン『スペシャル』最終巻

平方イコルスンスペシャル』が完結したのである。
Web連載ではもう三ヶ月ほども前に最終話が発表されているし、単行本も発売から一ヶ月あまりも経ってしまってはいるが。

最後まで読んで、やっぱり平方イコルスンはめちゃくちゃ面白い漫画を描くよな、と思った。
未だに単行本は目を閉じてえいやっと適当に開いたページを読むだけでも面白いし、これからの活動も楽しみにしていきたい。小説の入手は進んでいません。

他人の感想を探しにいったりもしないので、正直本作がどの程度の人気があるのかが分からないし、きちんと完結してくれるのか不安に思っていたのだが、もう全然、まったく、文句のない最後で良かった。たぶん、予定していた最後まできちんと描くことができていたのではないかと思う。トーチは扱っている漫画も良いものばかりだし、編集部に対する信頼が芽生えました。

結末まで読んでの作品に対する感想としては、現実とは異なるルールや成り立ちの異なる世界を舞台に当たり前の日常をやる、そしてその日常には死・暴力・ホラーといった不穏な要素が含まれる、若しくは現実っぽい世界の中でそういった逸脱を当然の如く受け入れる人間を描く、というのは平方イコルスンの特徴的な作風の一つであると思っていて、短編漫画や小説、果ては『全家畜』でも感じられたエッセンスが終盤の展開を以って前半・中盤のあちこちからも立ち上ってくる感じがあったのが非常に良かった。

スペシャル』は結構コメディに振ってるなと思っていたのだが、やっぱりそれだけではなかったな、というのも。
たとえば笑いを成立させる要因の一つとして「緊張と緩和」みたいな理屈を耳にしたことがあるが、平方イコルスンは物語上で扱われる死・暴力・ホラーといった緊張の要素に対して、物語の展開やオチではなく登場人物の少しズレたリアクションや独特の言葉遣いや言い回しといった部分に緩和を委ねているように感じる。

んで、平方イコルスン作品はコメディ的な作品が多いは多いのだが、前述のような物語自体に付与された重く強い緊張の要素に対して緩和の要素が人物のリアクションで賄われており、それがある程度の尺を与えられた物語で続いていくとどうなるのか、というのが長編漫画である『スペシャル』で明らかになったのではないかと思う。

読者は現実離れした怪力を持つ伊賀をはじめ、伊賀の特異性を当たり前に受け入れつつ自分自身も豊かな個性を持つ登場人物たちのやり取りはちょっと変わったコメディ作品としての読み味を覚えつつ、その実、取り返しのつかないに事態にいつの間にか引きずり込まれているのである。
実際には結末に向けた不穏さは作品の至るところに散りばめられており、自分のように勘の悪い読者でも最終巻を読んだあとには気がつくことが出来る。

「槍」は空から降ってくる(恐らく)超自然的なもので、作中世界では野良(野良?)で発見された場合は警察に知らせる必要があるなど一般にも膾炙されているらしいことが第19話『特別』の葉野の反応からは伺えるし、また槍は現在でも不定期に降ってくるようで学校での避難訓練がシェルターへの避難なのはそれを想定してのものなのは明らかであり、伊賀の頭にはその槍が偶然に突き刺さってしまったのだろうとか、津軽の頬の傷も降ってきた槍が掠めたもので津軽自身の身に何かしらの影響を残しているとか、生きた槍(津軽も含む)同士は共鳴し合うらしいとか、そういった作中の細かな設定部分は直接的な言及や明言こそされないものの結構クリアになったな、という印象だった。
Web連載での初読時に一瞬「???」となった最終話の最後の2コマについても、避難訓練の際に流れたものと同じ警報が鳴り響き、伊賀と葉野は恐ろしげな表情で上空に視線を向ける……という流れは後になって、なるほど、と思った。

それにしてもこの読み味、めちゃくちゃ文学的なものを感じるな。
文学的、というのが何かは分かりません。

伊賀と葉野が互いを想う剥き出しの感情をぶつけ合いながら、しかしそれは今この瞬間の勢いだけの根拠のない物言いであるかもしれないという冷静な思考も持ち合わせつつ、それでも止めどない感情のうねりによって涙は滂沱の如く溢れ出す。
そしてそういった人間の愛情や願い、誓いといった心や高潔さとは無関係に現実はすべてを飲み込み押し流していく(そしてそれでも人生は続く)……というのが切なくも感動的だと思う。
単行本で加筆されたおまけ漫画も良かった。

終盤こそ終始シリアスな展開が続いたものの、3巻辺りまでは不穏さが散りばめられながらもコメディが前面に出た面白さが魅力ではあって、実はそれが一見全く帳尻が合いそうにない世界そのものの不穏さと人物たちのリアクションや言葉、という緊張と緩和によって成立させられていた(そして終盤に向かいそれは徐々に破綻していく)というのは、偏に平方イコルスンの言語センス・言語感覚の為せる技だろう。

気が付けば連載は足掛け8年ほどになったようで苦労のほどが伺えるというものだが、短編は勿論のこと、ぜひまた新しい連載作も描いてくれると良いなと思う。

そして今回、『スペシャル』の完結を記念してトークイベントが開催されるとのこと。
気が付けば残席残り僅かになっているぞ、諸氏! 急げ!

今年初めての劇場へ - 『メイドインアビス 深き魂の黎明』



原作である漫画を認識したのは単行本の1巻が出てすぐだったと思う。おそらく当時から評判の作品で目に付きやすいところに置かれていたのだろうが、表紙のちょっと絵本っぽさもある可愛らしい絵柄と「アビス」という不穏な単語が入ったタイトルのアンマッチに目を引かれた。が、当時は絵柄の方が内容を表しているのだろうと受け取って、タイトルについては「ちょっと捻ったメイドものだろうか」などと実態とかけ離れた認識を抱き関心が外れることになった。

そうやって関心が外れたまま時間が経ち、5巻が発売されたころ、偶々Webでの試し読みに辿り着いた(辿り着いた経緯は忘れてしまったが)。そしてほんの少し読んですぐに書店へ走ったのである。その書店とはとらのあなであり、腐るほど有り余っていたポイントをクーポン券に交換し、それを使って5巻まで買った。

家に帰って読みふけり、5巻の最後まで読み終わって思ったことは「まだまだ自分の知らない面白い漫画があるんだな」という感動だった。

そして今回劇場版として作られた『メイドインアビス 深き魂の黎明』は漫画の5巻前後の内容を映像化したものにあたる。

平日だからさほど人はいないだろうと思ったのだが、上映一時間前に予約サイトを開くと案外席が埋まっていた。だいたい3割くらいか。劇場へ行くと半分くらいの埋まり具合だった。開場を知らせるアナウンスで、担当者が「黎明」の部分で一瞬口ごもって「はんめい」と読んだ。上映は先週末からだし当日も初回上映ではなかったのだが、初めて読むことになったのだろうか。

作品の内容としては言うまでもなく、ボンドルドとの戦いとその周辺についてが見事に映像化されている。映像の出来としてはかなり良く、戦闘はレグの腕のワイヤーがぐるぐるに渦巻きすぎではないかと思われつつもグリグリと動いて飽きずに見られたし、ナナチはやっぱり可愛いのである。ただ、おそらく多くの観客が漫画を読んで先の展開を知っていると思われるなか、それを制作者側が分かったうえで不穏な場面で感動的な音楽を流して悪趣味さを際立たせるなど、劇半については意図が見えすぎて鬱陶しく感じるところも多少あった。

しかし、やはり未完結の漫画原作のアニメ化(映画化)というのはあんまり僕向きではにないなとも思った。もともと観に行くつもりはなくて、『パラサイト 半地下の家族』を観に行こうかと思っていたところTwitterでなんだか話題になっていたから、漫画版を読んだうえで尚大騒ぎしているのだからさぞかし映像化として白眉なのだろうと思ったのだが、実際に観た感想として想像を超えたかと言えば、十分に良かったけど、まあ観ても観なくてもどちらでも良かったかな、という感想になる。

これは「作品として凡庸だ」という作品への評価ではなく、僕自身のアニメに対するスタンスの問題である。僕はこれまで漫画原作のアニメ化を、漫画を先に読んだ状態で観て漫画以上の満足を感じたことがない。漫画を読んだときに自ら脳内で作り上げてしまう音と映像のイメージを超えることが難しいのだと思う。まあ、「超えていない」という表現も恐らくは正しくなく、単に「映像」というものに対する僕のセンサーが非常に鈍く、センスがない可能性が非常に高いのだが。

そして未完結作品のアニメを観て思うのはアニメの出来不出来ではなく、いつだって「早く漫画の続きが読みてえな」なのである。

とにかく、漫画と同じ内容をやるなら自分には特に必要ないな、というこれまでの自己認識を新たにしたのであった。以上。



漫画は読め。 

メイドインアビス(1) (バンブーコミックス)

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メイドインアビス(2) (バンブーコミックス)

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メイドインアビス(3) (バンブーコミックス)

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メイドインアビス(4) (バンブーコミックス)

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メイドインアビス(5) (バンブーコミックス)

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メイドインアビス(6) (バンブーコミックス)

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メイドインアビス(7) (バンブーコミックス)

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メイドインアビス(8) (バンブーコミックス)

メイドインアビス(8) (バンブーコミックス)