Cork

木灘日記

日記を書きます。

姉とハム

f:id:DeepWeater:20190127041156j:plain

姉からハムが届いた。大手ではない地方メーカーのちょっと気の利いた折詰だ。

なぜ姉がハムを贈る気になったのかは分からない。たぶん、僕が正月に甥っ子たちにお年玉をあげたからのような気がするが、小学生にもなっていない甥二人に渡した金額は決して多くない。どうもかなりペイしてしまっているような気がする。

僕には二人の姉がいる。上の姉は結婚して子供を二人産み、こうして僕にハムを贈ってくれている。下の姉は何年も前に死んでしまったが、今でも時々夢に見る。
僕はどちらの姉のことも愛しているが、彼女たちがどう思っているのかは知らない。昔から僕は彼女たちから様々な施しを受けて生きてきた。

例えば僕は自分自身の身なりに気を使えない人間で、滅多に服を買ったりしない。そんな僕に度々服を買い与えてくれたのは姉たちだった。もちろん服だけではない。大学に進学して貧しい一人暮らしをしていた頃などは彼女たちのおかげでなんとか生活が成り立つような時もあった。食料や日用品に書籍の類、iPod nanoや時には現金、色々な物を貰った。

上の姉から貰ったiPod nanoは大学を卒業して仕事を始めるようになってからも使い続け、ある日洗濯機に衣服ごと巻き込まれるという不幸な事故によってお亡くなりになるまでは愛用し続けていた。
と、過去形で言いつつ、僕は実のところ今もiPod nanoを使っている。洗濯機事件によって生活から音楽を奪われ意気消沈していた僕を哀れに思った姉が、その年の誕生日に再び同じ型のものを贈ってくれたのだ。嗚呼、なんて甘やかされっぷりだろう。

その時点で愛用のiPod nanoは何世代も先が発売された型落ちで、店頭からはとっくに消え去っていたが、姉は海外のオークションでわざわざ同じ型のものを探してくれたらしい。
携帯を持っていくような外出のときには必ず持って出るくらい欠かせないものだが、最近少し電池の持ちが悪くなってきた気がする。これで皇牙サキを聴いたりしている。

下の姉から貰ったもので一番印象に残っているのは現金だ。忘れもしない、金額にして5万円。貧乏学生にとっては大変な大金である。とはいえ別に現金を貰えたのが嬉しくて記憶に残っていると言っているわけじゃない。いや、もちろん金を貰うと嬉しい。金は全ての源だ。僕はいつだって金がほしいと思っている。いい年こいて一昨年に気まぐれを起こした両親からお年玉を貰って喜び、去年貰えなくてちょっと不満を覚えるくらいには金に執着がある。

例えば出勤途中に10万円を拾ったとしよう。その日の僕は一日精神と肉体に活力がみなぎり、つまらない仕事もテキパキとこなすだろう。そして定時間際に上司から発せられる「ちょっと悪いんだけどさ」と申し訳なさの欠片も感じられない残業要請に対しても福沢諭吉の威光(オーラ)に包まれた黄金の精神と現実的な金銭の充実により獲得した黒人並みのフィジカルによってバシッと断ることが出来たりする。

だが、下の姉から貰った現金は、今の僕にとってそういった即物的なありがたみとは別の意味を持ってしまっている。

下の姉は心優しく、繊細で傷つきやすい心の持ち主だった。肉食を嫌い、打算的な人間を嫌い、自分の精神の中心に確固たる軸を持って人生を生きられない自分を嫌っていた。彼女は大学卒業後、就職をしなかった。就職をする代わりに頻繁に海外へ渡った。
日本にいるあいだはなにかに追い立てられるように複数のアルバイトを掛け持ち、朝も夜も働いていた。5万円はそんな海外渡航とアルバイトに明け暮れていた頃の姉に貰ったものだった。

その当時も金額の大きさに驚きと感謝の念を抱き、いつか何かしらの形できっと恩返しをしなければと思った。けれど、そうする前に彼女は死んでしまった。恩を返すことが出来ず、そして今の僕は当時の彼女にとって金というものがどういった意味を持つものだったのか考えられるようになった。

金は彼女にとって自分を苦しめる様々な事柄から、物質的にも精神的にも自身を遠ざけてくれる翼だった。愚かな学生だった僕は、彼女が自分の背からむしり取った翼の一部を己の俗物的な生活の糧として迷いなく消費したのだ。

彼女はもういない。5万円分の何かを返す機会は失われてしまった。それ以外にも沢山のものを返さなければならなかったというのに。

僕は今でも時々彼女の夢を見る。上の姉は彼女が死んでから子供を産んだ。その子には彼女の名前の一字が使われている。

さて、ハムのお返しには何を贈ればいいのだろうか。