Cork

木灘日記

日記を書きます。

表現行為にドーピングもクソもあるのか?

snjpn.netあまりにも馬鹿らしい意見だと思った。

スポーツにおいてドーピングが認められないのは、健康を損なう恐れがあるとかそういういかにも後付らしい理由の他はそれが競技に対して用いられるものであるからという、ただそれだけの理由ではないのか? 他人と競い合うものであるから、大会の順位だけでなく、過去から未来の数多の人々の記録との比較に用いられるから、レギュレーションを設定してドーピングを禁止しているのではないのか。

芸術……取り敢えずここでは音楽とするが、音楽にドーピングをすると何が駄目なのか、まったく理解不能だ。音楽とは他の誰かと競い合うものではないだろう。麻薬によって己の精神にブーストをかけて平時では到底発揮し得ない、一時の異常の感性によって生み出された音楽に罪はあるのか? 罪があるのなら、それは誰に対する罪なんだ?

特定個人や己の属する業界に対するものではないだろう。社会的な制裁によって結果的に迷惑をかけ罪を背負うことにはなるかもしれないが。……じゃあ、社会か? 社会はなぜ麻薬を禁止している? 他の人々に対して不公平だから? 違うだろう。

我々の社会において麻薬が禁じられているのは、それが社会の不安定を招くからだ。麻薬は人々の精神を不安定にさせ、その人々を麻薬に誘い、供給する半社会勢力に力を与える。麻薬規制はそういった状況を防ぐためではないのか。

勘違いしないで欲しいのは、僕は「なぜ麻薬が駄目なのか」と言っているわけではない。あくまで松本人志の「薬物の力を借りた表現行為はドーピングであり、そうやって生み出された作品には罪がある」という主旨の発言に賛同出来ないと言っているのだ。

恐らく松本人志は「薬物」という雑な括りでドーピングと麻薬を比較してみせたのだろう。しかし、先に挙げたようにドーピングは公平性が求められる競技において不公平を招くものであるから禁止されるのに対し、麻薬は社会秩序び維持を目的として禁止されるものであり、その背景は異なる。

表現行為に麻薬を用いることをドーピングと呼び、罪と言うのなら、それは何らかの手段を用いて肉体・精神にブーストをかける行為全般に対して不正と呼ぶに等しいか、それにほぼ隣接した暴論だろう。

例えばテスト前夜にカフェインの錠剤をバリバリ食って徹夜に臨み、良い成績を残すことは不正なのか? タバコを飲んで脳味噌をニコチンで満たしてリラックスするのは? アルコールの過剰摂取で認知を歪ませ、押入れの隙間から森羅万象の真理の断片を垣間見るのは? 全て罪なのか?

何となく似ているからといって成り立ちの違うものを並べて語るべきじゃないし、あまつさえイコールで結んだりなぞするもんじゃない。麻薬が禁止されるのは社会秩序を様々な方向から脅かすから、ただそれだけで良いじゃないか。

麻薬で捕まった人間の関わった商業作品が次々と公開停止に追い込まれていくのはやはり馬鹿らしいと思うが、それも社会秩序という観点からすると納得出来る部分はある。つまり、半社会勢力への資金供給を絶ち、またそこへ連なる人々への警告や見せしめを目的とするにおいてだ。

しかしまあ、僕は社会なぞいつでも壊れて構わないと思っているので、高尚な目的があるのだとしても作品の公開停止は勘弁してくれよ、という立場である。