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木灘日記

日記を書きます。

バスに乗るくらいなら潔く走ろう

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今朝は明け方から雨が降っていたので、毎度の如く最大限の渋り具合でバス通勤するか、となった。

天気予報によると朝から昼前にかけては雨であるが、その後は晴れると言っており、正直僕はちょっと悩んだ。雨が午後に止むということは、帰りは雨が降っていないにも拘わらずバスに乗らなければならないということを意味する。

バスという耐え難い空間を辛うじて許容出来るのは、雨が降っているからだ。雨が降っていないのにバスに乗らなければならないのは、そしてそれが出社或いは退社の為であるのは、筆舌に尽くし難い苦痛を僕に与える。

朝、目が覚めて雨が降っていると、僕はまず天気予報を確認する。一日雨の予報であれば、辛くとも諦観にも似た心の安らかさを持ってドナドナされることを受け入れられるのだが、途中で止むという予報である場合には大変な煩悶に襲われてしまう。

ごく小雨で帰りには止んでいることが明らかであれば、ままよと自転車に跨ってしまうこともあるが、基本的にはバスに間に合うギリギリまで悩みに悩み、窓から道路のアスファルトに発生した水たまりに広がる波紋から雨の勢いを未練がましく観測しつつ、結局は観念して傘を手に取り徒歩で家を出ることになる。

たまにあるのが朝は晴れていて、後から雨が降ってくるパターンで自転車通勤をしてしまうことだが、これはまだ良い。帰りはどれだけ濡れようと行き先は自宅なのだ。僕の自転車はロードバイクであるので泥除けがない。雨の中や雨の後の道を走ると服やリュックには泥が飛散する。しかし、行き先が自宅であれば全く問題はない。雨に全身を濡らし身体の芯から冷え切ってしまっても、すぐに風呂で温まることができる。

しかし、朝の雨はそれが効かない。力技にどうしても打って出づらい。下着まで濡れて仕事をするのは流石に厳しい。何度か判断を誤って経験しているが、椅子にケツの形をした染みが出来るのはそれはそれは恥ずかしいもので、乾くまで椅子から立ち上がることが困難になる。

そのため、朝の雨にはつい弱気な判断をしがちとなる。そして仕事が終わり会社を出て、晴れ晴れとした空を睨みつけながら、苦々しい気分でバスに揺られることに甘んじるのだ。

今日も朝のバスに揺られながら、夕方にはとっくに雨は止んでいるのだろうなと、うんざりとした気分でいた。そして、ふと思いついた。僕はジョギングを未だに続けている。毎日とは言わないが週に4、5回は走るということを一応継続できている。自転車で通勤する日は往復約25キロが加わるのでちょっとしんどいこともあるが、そこそこ走る体力もついてきたように思われる。12キロ少々、走れるのでは? そう考えた。

だから、今度今日のような天候があった際には、ジョギング用の着替えをリュックに入れて、一度家まで走ってやろうと思う。そうすればバスに乗らなくて済むだけではなく、バスで家に帰ってから再度着替えて走りに出るという無駄もなくなる。しかも、推測ではあるが、恐らくバスで家に帰るのと走って帰るのでは自宅到着時間に関しても大差ない可能性すらある。

これは凄い発見だ。普段のように自転車で家に帰り、素早く着替えて走り出し、そして再び家に戻ってくる。その一連の動作の完了よりも早くなるのではないだろうか。更に言えば消費カロリーも多くなって、僕のこの中肉中背を維持するのに役立つのではないか。

どうも己の体力を過信しているような気がしてならないが、逆に言えば「走って帰る」というアホ丸出しの脳筋イデアにこれだけポジティブな要素を見出してしまうくらい、僕は心底バスに乗りたくないのだ。ご理解頂けるだろうか。ご理解頂けなくても構わないんですが。

人間心の底から厭だと思っていることを避けるためには他の幾つもの厭なことを許容できるのである、という話。