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木灘日記

日記を書きます。

個を認識すること

ここ数日、家に帰るとVTuberのでびでび・でびるの動画を流していることが多い。

でびでび・でびる、滅茶苦茶可愛いよな。もふもふして、ふわふわ浮かんでて、声が可愛くてさあ。尊大な口調だけど言ってることは真っ当だし、人生相談みたいなのまで始めちゃって、回答の内容もなんか苦労を感じるし……。わたくし、完全にでびる様を好きになってしまいました。映画好きっぽいのも良い。

でもやっぱ一番良いのは声なんだよな。僕は他人をなかなか覚えられない人間で、それで困ることが多い。いや、実際のところそこまで困りはしてないんだけど。何度か会っているにも拘わらず初対面の挨拶をしてくるような僕みたいな人間を相手がどう思っているかは知らない。

見た目などは何の変哲もない顔の人間はもとより、俳優やモデルみたいな美しい顔の人間を見ても、目を離した途端にどんな顔か分からなくなってしまうのだ。自分で記憶力の良い方だとは思わないが、そういう問題ではない気がしている。

ぼんやりしたそれっぽい顔を脳内で作り上げて記憶しているから、人との会話で俳優の名前などを言われても正確な顔が思い出せない。ついでに名前もほとんど覚えていない。やる気あんのか。無いです。

この僕の脳の欠陥(というのはさすがに大げさか?)について考えていくと、つまり、これは他人を個として認識する能力が低いのではと考えられる。あまり他人に対する好き嫌いがないのも、要はその認識能力の欠如に端を発するものであると思われるのだ。

曖昧に生きている自覚はあるが、単純な記憶力とか心構えとか性格的なものだけではなく、こういった普通の人間ならば当たり前に出来ていると思われることが出来ないというのは、何かしら基礎的な能力の欠如に基づく要因があるんじゃないかという気がする。

んで、その点、声というものは顔に比べて比較的区別が付きやすい。特に所謂アニメ声ってヤツは極端に特徴が強調されたものがちょくちょくあって、そういうのは声優など名前はやっぱり覚えられないことが多いものの「あ、この声は知っている」という風に個として認識されることになる。

身の回りの様々なものをぼんやりとしか把握していない僕のような人間にとって、対象を個として認識するというのは、その時点で特別なものになってしまっているということだ。そして、でびる様は今のところスペシャルな存在感を僕のなかで放っている。

VTuberに栄えあれ。