Cork

木灘日記

日記を書きます。

霧が晴れるように皆の前から消えたい

年度末だからか、飲み会という言葉がちらほら聞こえてくる。

この時期に行われるとすれば、やはり歓送迎の「送」にあたる会だろうか。僕の周辺でも来週、歓送会が行われるらしい。らしい、と言いつつ僕も行くことになっている。助けて欲しい。

幹事ではないが、会場は僕が勝手に馴染みと呼ぶ店(美味いので幹事をやらされるときは勝手にそこにする)になり、幹事から店の予約を頼まれた。人数と時間を伝えて予約の可否を確認してもらい、それから名前を名乗ると、電話向こうの大将の口から遂に「毎度どうも!」と、個体認識完了のお言葉が飛び出したので、死にたくなった。

割と唐突気味な開催連絡だったせいか、参加者は今のところ予約人数を大幅に下回っているらしい。幹事ではなくとも代表として店に予約を入れているのは僕なのだ。人数が少なくなるのであれば、早めに人数変更の連絡をしたい。幹事はさっさと人数をまとめてくれ。

歓送迎会とは言うものの、その場にどういった感情で臨むべきなのか、僕は未だに良くわからずにいる。今回は課内の同僚が異動になるとのことで歓送会という体のようだが、同僚が増えたり減ったりしたって、別にどうでも良いじゃないか。心からそう思ってしまう。

これは皆、多かれ少なかれ同じように考えているのかもしれない。ただ、プライベートでは付き合いが続くとか、今後また業務上で関わり合うことがあるかもしれないとか、ただ単に知り合いと楽しく酒を飲みたいとか、そういった別の目論見があるのだろう。そして、そういった皆の社会性が発揮されることで、社会人の飲み会というものの多くは成立しているのだ。

理屈として理解しながらも、それでも厭だなあ、面倒くせえなあ、という気持ちを抱かずにはいられない。

僕が辞めるときに歓送会なぞやらないで欲しいと思う。でも、やるんだろうな。本当に辞める踏ん切りが付けられるのか、まだ少し怪しいけれども。もしちゃんと辞める算段が付けられて、歓送会をやることになって、そしたら僕はきっと皆の前で自分なりに気の利いた礼を述べるのだろう。皆、真面目な顔で僕を見つめながら話を聞いて、応援の言葉なんかを口にしたりして、話し終えた僕は無言で頭を下げて、場にぱらぱらと拍手の音が響くのだ。嗚呼、本当に厭だなあ。