Cork

木灘日記

日記を書きます。

鑑賞に高いリテラシーが求められる

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図書館に本を返しに行ったら併設の劇場でピアノの発表会をやっていたので、隅の方でこっそり鑑賞させて貰ってきた。

ピアノの発表会なんて幼稚園くらいの頃に姉達が通っていたピアノ教室のやつに行ったとき以来だ。劇場の1ヶ月の予定を書いた掲示板には「ピアノ発表会」としか書かれていないが、どうやら個人のピアノ教室のものらしい。それでも人数は30人以上居たようで、一般的な個人のピアノ教室にどの程度生徒が集まるのかは知らないが、すげえ多いなと思った。

年齢層は幼稚園から高校生くらい。出番が近づくと観客席から裏手へ回り、一人2~4分くらいの演奏時間で次々ピアノを弾いていく。奏者が幼稚園や小学校低学年くらいのときには先生らしき女性が一緒にやってきて、椅子や補助ペダルの高さ調整、ドレスのスカートの裾の乱れを整えてあげたり甲斐甲斐しく動き回っている。

皆、椅子の位置は凄く気にしているようだった。ほんの数ミリを何度も調整する子もいる。個人的には腰掛ける位置が全体的にめちゃくちゃ浅いのが気になった。そういうもんなんだろうか? ペダルに体重を掛けやすいよう前傾姿勢気味なのがセオリーなのかもしれない。

演奏が始まると僕の身長の半分くらいしかない子供でもしっかりと鍵盤を叩いて旋律を奏でている。そして終わると目印として床に貼られた小さな黒テープのところまで歩いて頭を下げる。立派なもんだな。やはりピアノ教室に通わせて貰えるような子供の家は多くが裕福で、安定した経済基盤のもと自信や自尊心を養っていくものなのだろうか。

裕福でない家庭の子供にもぜひ頑張って欲しい。自信なさげだったり、見た目に明らかに緊張で硬くなっているような子を見ると、庶民派の家庭の出だろうかなどと失礼なことを考え出して、つい応援したくなってしまった。姉達がピアノを習っていた頃の僕の家も裕福ではなかったしな。

次々現れる子どもたちのなかで一番僕の注意を引いたのは、自信に満ち溢れた小学校低学年くらいの女の子だった。白か黒系の衣装が多いなか、真っ赤なドレスを着ていた。演奏するのは「チューリップのラインダンス」。明るく跳ねるような、楽しげな曲。

彼女は自分が他人と比べて優れていることを明らかに自覚していた。舞台袖からピアノに向かうまで顎を少し持ち上げた清ました態度が堂に入っている。先生が補助ペダルの調整にやってくるのを待つほんの一瞬、舞台袖へ送る視線が流し目のようでゾクっとする。弾き始めも右手を膝の上に置いたまま、左手だけで演奏を始めて、ちょっと気取った感があって可愛らしかった。

演奏も上手い。ちょっと斜めに傾いだ前傾姿勢で身体を揺らしてリズムを取ってメロディを奏でている。そして最後の鍵盤を叩いたあとはしっかり残心までやる。最後に行われた年齢別の合唱でも挙動が目立っていた。軽く跳ねるような歩き方や、他の発表者を全然意識していないような振る舞い。自尊心が溢れている。ぜひそれを維持したまま成長して欲しいものだと思った。

奏者の年齢層が上がると共に演奏のレベルも高くなっていく。観客も奏者が舞台前方まできて頭を下げる前に拍手をし始めたりしている。そういえば「エリーゼのために」を初めて通しで聴いたかもしれない。

後半は小学5年~高校生という年齢層なのだが、途中々々で低学年くらいの男の子が混じるのを疑問に思っていたが、プログラムを確認すると、どうやら彼らはちゃんと小5以上らしかった。そういえば小学生くらいだと女の子の方が身長が高かったりするんだっけ、と思ったりした。確かに僕が小学生だった頃も女の子に背の高い子が多かったような気がする。

それにしても、ピアノ演奏の鑑賞は難しいなと思った。目を開けて耳が塞がってなければ取り敢えず最低限の事は足りるが、実力があるのかどうかなど考えようとすると、途端に鑑賞の難易度が上がる。

イメージが伝わってくるな、とか滑らかに指が動いているな、とか曖昧に判断することしか出来ない。例えば曲を弾き間違えたとしても、その曲の全体をきちんと知っていなければどこで間違えたのかも分からないのだ。高いリテラシーが必要なのである。絵だって同じだ。やはり音楽は芸術なのだな。