音楽の神様? 知ったこっちゃねえよ! - 『MUSICUS!』感想
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— OVERDRIVE (@overdrive_jp) 2019年12月20日
さすがに1週間経てばネタバレしたって構わないだろう、などという殊勝な心遣いがあったわけでもなく、なんとなくぼんやりと日々を過ごしているうちに発売から1週間以上が経った。
ので、ネタはどんどんバレていきます。
1週間ってあっという間だな。ところで僕は1日とか1週間とか1ヶ月とか、時間を大きく区切るような概念があまり好きではなくて、1日が終わったら次の1日が、1週間が終わったらまた次の1週間、1ヶ月なら……という具合にどうも我々の人生とはこれ反復なり、という印象を強めるようでこうした区切りを意識すると気が滅入って仕方がない。人の人生を勝手に区切ってくれるなよ、と常々思っている。曖昧に生きていきたいんです。聞いてるかログインボーナス。
えーと、ネタバレの解禁はいつからと指定されていたんだっけ。確か22日以降とかそれくらいだったか。まあ、僕は自分自身がさほどネタバレというものを気にしない方だから、解禁日とかそういうものに合わせて感想を上げる可能性は元から低かったと思うのだが、ともあれ発売から1週間だ。
『キラ☆キラ』『DEARDROPS』と地続きの世界で再度描かれるロックンロールの物語。
先日も書いているが、まず結論として僕はこの作品はすばらしいなと思った。脚本が瀬戸口廉也というだけで既に100点満点中120点くらいあるのだが、ビジュアルや音楽といった作品を構成する他の要素に関しても隙がないというか、トータルとしてちょっと文句の付け所が見当たらない、非常に高い水準でまとまった作品と言って良いだろう。
原画がすめらぎ琥珀と聞いた際には「ちょっとエロくなりすぎるのではないか」などと内心思ったりもしたのだが、追って公開されたビジュアルなどを見るとそんなことはまったくの杞憂だった。
むしろ、あの、肉感っていうの? 絵柄の工夫なのか、塗りに拠るものなのか、僕のような素人には正確に表現出来ないんだけど、本来エロっぽさに繋がるところへ照射されていたエネルギーが上手い具合に別のところ(どこかは知らない)へ移し替えられて、それによって青春だとかロックだとかいった高カロリーなテーマと正面からガッツリ組み合える、なんていうか、生命力を感じるビジュアルになっていたんじゃねえかな。とにかくめちゃくちゃハマってるな、と思った。
ちなみにセックスが描かれる場面においてはキャラクターの脱衣と同時にエネルギーの再照射が行われるため、急にエロさがせり出してきてギョッとするので注意されたい。何を注意するというのか。僕はめぐるさんが好きです。
音楽に関しては当初から不安はなく、予想通り予想のやや右斜め上を行ったな、という具合でこれも良かった。劇中歌では「Calling」が曲そのものも、使われ方も特にすばらしい。
「Calling」は作詞曲共に花井是清の手によるもので、是清の死後、遺品のPCから発掘されたこの曲を三日月が歌うという扱いの楽曲だが、作中で他に花井是清の曲を「ぐらぐら」しか聴いていないにも拘らず癖のあるメロディによって一発で「花井是清じゃん!」という印象を与えてくる、優れた曲だと思う。
選択肢でアレンジが変わるのも良い。花井是清の遺作として発表するとシックというかちょっと大人しい感じのアレンジで、遺作であることを発表せずDr.Frowerの新曲として発表する場合には演奏も歌い方もアップテンポなアレンジになり、扱い方に大きな変化が生じる。贅沢すべきところで贅沢していて大変よろしい。
また「Calling」には劇中歌である前述のアレンジ2つの他にもう1つバージョンが存在する。それはパトロンへのリターン品に含まれるボーカルアルバムに"Another Ver"として収録されたもので、そのバージョンは歌唱こそ三日月によるものだが、これこそ花井是清が遺した「Calling」本来の演奏のかたちなのである、と思う。たぶん。
劇中歌のアレンジ2つと何が違うのか、聴けば1秒(誇張なし)で分かることだが、"Another Ver"にはキーボードのパートが存在している。Dr.Frowerには存在せず、花鳥風月には存在するパート。つまり作中で遺作として発表した場合のアレンジは原曲である"Another Ver"からDr.Frowerには存在しないキーボードのパートを抜いたものだと推測できる。
1曲だけ曰くがつきすぎじゃないかって気もするが、まあいいじゃないか。むしろゲームの中のバンドの楽曲、つまり創作世界内部の創作物なんて普通にやったらほとんど平面的な存在感しか与えられないようなものだろう。それにこれだけの質感を与えることに成功しているのだから、演出としては見事と言うほかない。
選択肢による楽曲に対する向き合い方の分岐と、それに伴う曲のアレンジの分岐、そしてその分岐の意味するところを作品外のアルバムがそれとなく補完してくる。スマートだし、ゲームという媒体を活かした演出だなあと感心した。
こういった演出方法は通常のゲーム制作ではあまり出てこないんじゃないだろうか。クラウドファンディングで資金調達していたからこその、金があって、スケジュールにゆとり(?)があって、全体のクオリティにある程度の確信が持てて……というところで初めて出てくるスケベ心に拠るもんではないかと思う。
あとは今回、劇中歌だけでなくBGMも印象に残るような曲が幾つもあって、これも非常に良かった。特に僕はセックスする場面で切ない、或いは湿っぽい音楽(例:愛慾に光る / 『腐り姫』)が流れると嬉しくて仕方がない性癖だから、「グルーミー」はとにかく気に入っていて、今のところどのボーカル曲よりも再生数が多い。
んで、ええと、いよいよシナリオについて感想を……と思ったんだけど、思いつくことを手当り次第書くと取り留めもなく長くなりすぎるし、要約しようとしても上手くできそうにないしで、どうにも難しいな……という感じになって手が止まってしまった。
しかし、まあ、まずは『MUSICUS!』におけるメインテーマの1つは主人公・対馬馨の音楽に対する向き合い方を描くことにあり、ルート分岐は各ヒロインへの攻略ルートの分岐ではなく、対馬馨の音楽に対する向き合い方の分岐である、ということは少なくとも言って良いだろう。
対馬馨が音楽に向き合うことになるきっかけというのは無論、花井是清である。彼は音楽の素晴らしさ、奥深さの片鱗を馨に見せつけつつ、「そんなものはまやかしかもしれない」と疑いの種を撒き、馨と三日月に呪いをかけて死んでいく。正直最悪だが、絶望に打ちひしがれた彼はそうするしかなかった。
そして本作は対馬馨が花井是清にかけられた呪いを解呪する方法を探す果てしなき旅の物語なのであーる……とは言い切れないんだけど、それでも物語は常に「音楽」という呪いへの対峙の仕方、呪いが解かれたり解かれなかったり、その影響を大小させながら展開していく。
それぞれのルートで馨はどういった形で音楽と向き合っていくのか、それについてはプレイすれば分かることだから別に書いておく必要もないかな……って感じなんだけど、まあ一応簡単にまとめておこうと思う。僕が書きたいことは主に三日月ルートについてなので、ほどほどに。
・弥子ルート
弥子ルートは音楽、そして花井是清との決別のルートと言って良いだろう。
馨はバンド経験者として学祭バンドの皆を導いていくうち、音楽の引力から自然に、徐々に遠ざかっていく。そして学祭を無事に終えたあと、自宅地下の練習室で1人、花井是清とギター、そして音楽に別れを告げる。
触れてしまうと再び音楽の世界に魅了され、何もかも投げ捨ててしまいかねないという恐れからギターに触れようしない姿はまるで元薬物中毒者のようで笑ってしまうけれど、本人にとっては切実な問題だった。
決して割り切れたわけではなく、音楽を求める想いはいつまでも心の中に小さく燻り続ける。しかし、それでも自分が選んだ道を正解とするため、また自分の大切な人たちを幸せにするために前を向いて進んでいくことを馨は選択する。
このルートは最も平凡? 安寧? 団円? なんか上手く言えないんだけど、地に足がついた幸福な結末を迎える、対馬馨のロックンロールからの更生、或いは帰還ルートと言っても良いかもしれないな、と思う。どちらかと言えば帰還の方がしっくりくるか。
音楽の神を求めて修羅道に足を踏み入れるも、その道中でもっと大切なものを手に入れて道を引き返すという、どこか神話めいた感じ。
・めぐるルート
めぐるルートはちょっと変わってるなと思っていて、他のルートのように馨が音楽とどう向き合っていくのか、という部分はほとんど描かれない。
物語はめぐるという人物の背景及びめぐると朝川周の関係を中心に進んでいく。そして馨は自分が音楽と向き合う代わりに朝川周という音楽に人生を捧げた先人の生き様、死に様から音楽に己のすべてを差し出した人間の行末を垣間見る。
正直このルートは話の内容的にはちょっとどうかなというか、取ってつけた感じがあって、シナリオの好みとしてこのルートを最も推す人間は少ないんじゃねえかなと思う。
ただ、馨の音楽との対峙が描かれていないからといって呪いが解けたのかと言えばそうではなくて、単にきりぎりすのように問題を見て見ぬ振りし、先送りしているに過ぎない。だから、物語が終わったあと、続くその先には再び音楽と向き合う苦しみが待ち構えているのだろう。そう想像すると違った味わい深さもある。
ところでさっきも言ったんだけど、僕、『MUSICUS!』の登場人物ではめぐるが一番好きなんですよね。自分の心の奥底に横たわる虚しさに自覚的でありつつ、へらへらしてるところとか、すごく人間味があって好き。
・澄ルート
これを澄ルートと呼ぶのが正しいのか僕には分からないんだけど、他のルートだってヒロインの名前を頭に付けるのが正しいとは特に思っていないし、まあ呼称なんて便宜的なもので何だって構わないだろう。
このルートでは仲間たちと袂を分かち、1人孤独に音楽を作り続ける対馬馨の姿が描かれるている。ここでの対馬馨は作中で最も強く音楽の呪いに毒されていて、救いもない。
物語の最終盤ではヒロインの死という、『キラ☆キラ』においてきらりが死亡するルートを彷彿とさせる展開があるんだけど、その後の展開は『キラ☆キラ』でのそれとはまったく異なる方向で意表を突かれた感じはあった。
人によっては結構な精神的なダメージを負いそうだし、たぶんこれをBADエンドとして捉えている人も少なくないんじゃないかと思うんだけど、いやまあ、見てるこっちの気分は限りなくBADなんだけど、それでも物語として、対馬馨にとってBADなエンドなのかというと、微妙に違うなと思った。
このルートが何を描いたのかというと、恐らくミュージシャンの「業」であろう。対馬馨は音楽に魅せられ、その真髄を追い求めるあまり、人との関わりも、自分自身の何もかもすべてを投げ出して、そして最後には恋人の死すらも音楽の神への捧げものにしてしまう。そんなミュージシャンの業を思い切り背負い、音楽という目に見えない何かに取り込まれてしまった人間の姿を描いた、ある種ホラー的な話だったなという感想だ。
ダークソウルってゲームあるじゃないですか。いや、僕は自分でやったことないんだけど、VTuberの実況放送でちょっと観てたことがあって、たぶん2なんだけど、飛ばし飛ばし一応最後まで観た。んで、その物語の結末ってのが、数多の亡者と戦い、斬り伏せ打ち破り、最後まで辿り着いた主人公の選択が「亡者たちの新たな王として玉座に君臨する」というもので、澄ルートを終えたあと、なんかこれに似てるなと思った。そうでもないかな。まあいいか。そんなとこ。
・三日月ルート
さて、三日月ルートである。『MUSICUS!』におけるメインシナリオと言い切って良いこのルートでは当然、主人公である対馬馨の音楽との対峙がこれまで以上に密に描かれる。
澄ルートでの対馬馨は音楽を追求した果てに、それに取り込まれてしまった。しかし、今度は違うぜ。なぜか? ……なんだっけ……じゃねえや、そう、三日月がいるからだ。このルートは花井三日月とタッグを組んで「音楽の神」を探しに行く物語である。
澄ルートでの対馬馨は孤立していた。そばにはずっと澄がいたけれど、彼女は共に音楽に立ち向かうパートナーにはなり得なかった。盲目的に馨を肯定する彼女は「馨が生み出したものだから」という理由で彼の音楽を肯定していた。それはきっと馨の孤独をより一層深めていただろう。
今度はそうならない。音楽に最も近い女、三日月がパートナーだからである。いくぞ、リベンジマッチ! というわけで三日月のソロデビューに反対し、あくまでバンドとして活動を続けることを選んだ結果、Dr.Frowerはメジャーで成功する。
が、しかし、メジャーで成功を収めても馨と三日月は音楽の神様を見つけることは出来なかった。
バンドとして大成し様々なものを手に入れた三日月だったが、彼女はやがて歌うことの意味を見失ってしまう。三日月は馨に対し、歌は普通に生きられない自分がそれでも誰かと繋がるためのものだったのに、いつからか暗闇に向かって歌っているように感じられるようになってしまったと告白する。
そして是清の死についてこう語る。
「みんな、お兄ちゃんは音楽に殺されたって思ってるけど、私は違うと思う」
「この真っ白な世界で窒息死したんです」
「お兄ちゃんも、なんかすごい純粋なアーティストみたいに言われるときもありますけど、ああいう死に方をしたからそう言われてるだけで、本当はそんな特別な人じゃないんです。普通の人で、ただただ寂しくて孤独だったんですよ。だから音楽をやっていたんです。音楽以外で伝えるのがへたなのはわかってたから、だから音だけを聴かせることにあんなにこだわってたんです。でも、どうにもならなかったからやめたんです。……そして、もう一度曲を発表するとなったときに、怖くなったんでしょうね……」
是清もまた、音楽以外に人と繋がる方法を持たなかった。寂しくて孤独で、だから音を通じて人との繋がりを求めた。けれど、それは上手くいかなかった。孤独から逃げられないことへの恐怖、諦め、絶望が兄を死に追いやったのだと三日月は言い、兄のように死にたくないと涙を流した。
ここまで読み進めて、僕はようやくこの作品が何を描いているのか、たぶん、おそらく、理解した。
馨と三日月は「音楽とは何か」という問いへの回答、そして「音楽の神」を追い求めたが、そうした二人の姿を通じて描かれたのは結局のところそういった概念のヴェールの奥に潜む、人の手ではどうすることもできない絶望との対峙だったのではないか、ということである。
その後、歌を失った三日月を伴って参加した『STAR GENERATION』のライブで馨は是清の姿を幻視する。戸惑う馨に、是清は語りかける。
「おれもいろいろ考えたんだがね、結局のところ、ごちゃごちゃ考える必要はなかったんだよ。難しいことは何一つないんだ」
彼はあの時と同じ何でも見通しそうな涼しい目で、僕の顔を見ていた。
「音楽はただの音の振動だよ。音楽の感動はまやかしだ。おれたちミュージシャンのやっていることなんて全てクソだ」
そして、彼はあの時と同じ言葉を僕に投げかけた。
その言葉は、今の僕なら当時よりもはっきりと具体的にわかる。
―――そうですよね、きっとそうなんだ。僕はそれとは別の何かがあると思っていたけれど、結局それは見つからなかったんです。それを見つけることで、花井さんを何か救い出すことが出来ると思ったんですけれど、僕らの罪が赦されるんじゃないかと思っていたけど、出来なかった。三日月と二人がかりで頑張ったのに、何も見つからなかったんです!
僕はそう叫んだつもりだったが、彼は微風を受けた程度の反応も見せず、静かに微笑んでいる。
そして、こう続けたんだ。
「でも、だからなんだって言うんだろうね?」
彼は肩をすくめて溜息をつき、
「それが何であろうと、おれたちには音楽が必要なんだ。他の何よりも必要だったんだ。どうしておれはそれを信じられなかったんだろう? 自分にとって一番大事なものを、どうして台無しにしようとしてしまったんだろう?」
彼は僕にといかけるが、僕は返す言葉を持たなかった。
「馨君、顔を上げるんだ。どんなに恐ろしくてもくじけずに。……おれはそれが出来なかった。だけど、きみはとてもうまくやっているじゃないか。だから、何を見たってもう大丈夫なのさ。もっとも、きみが心配するようなものは最初から何もないんだがね」
彼はそう言って僕の目をじっと見つめる。
「ロックンロールという言葉はね、きみが勇気をもって暗闇で顔をあげるとき、いつもそこにあるものの名前なのさ」
そこで彼はクスリと笑い、
「ちょっとダサいフレーズだけど」
そして最後にクスクスと笑い声を残したかと思うと、パッと明かりがついて視界が真っ白な閃光に満たされ、そして、彼はその眩しい光のなかにかき消された。
音楽とは何なのか、是清の主張は以前と変わらない。馨は三日月と二人がかりでさえ何も見つけられなかったと嘆く。しかし、ここで是清は「だからなんだって言うんだ」と続ける。
音楽なんてまやかしに過ぎず、ミュージシャンのやっていることなんてクソだ、そう言いながら、同時に「それでも音楽が必要なんだ」と言う。
音楽の感動、音楽の価値、音楽の意味、それらはあくまで他人の視座に過ぎない。大事なのは自分にとって音楽が大切なものであるということだけで、他人と分かり合うことは出来ないかもしれない。それは寂しく、恐ろしいことであるかもしれないが、しかし絶望する必要はないのだ。……ということを是清は伝えているのではないか。
そして、そういった恐れと向き合う不屈の勇気をロックンロールと呼ぶのだ、と。
対馬馨の受けた呪いはここでようやく解かれ、そして最後のライブへと繋がっていく。
というわけで大団円。ハッピーエンドである。死人も怪我人も出たけれど、生きてる人間だけが大切だ。この辺を疑ってかかる必要は特にないだろう。瀬戸口廉也の作品でここまでスッキリ爽やかな読後感は他になく、「『キラ☆キラ』を超えた」というプロデューサーの言もトータルで見れば納得であった。
んで、ここからは余談なんだけど、もともと馨は「是清を死に追いやった音楽、それを追い求めた先には本当に絶望しかないのか?」という問いに対して「そうではない」と言えるだけの何かを見つけようとしていたわけだが、馨としては三日月と二人がかりでも見つけられなかったその答えについて、『STAR GENERATION』のライブの帰路で三日月が新たに見出した「音楽とは生命そのものである」という解釈を援用してもうちょっと深堀りして考えてみたい。
前述の問いを簡略化し、また『音楽』に『生命』を代入するとこういう問いに置き換えることが出来ないだろうか。つまり、「生きることは絶望なのか」というものである。
置き換える前の問いに対して本編で出された回答は「答えは出ない、でもそれが何なんだ?」である。再び問いを置き換えて、今度は本編での回答を代入しよう。
さあどうだろう、これほど力強い生の肯定はないんじゃなかろうか。YESでもNOでもない、知ったこっちゃねえよという第三の回答だ。生きることに意味はあるのかだって? 知らねえよな、そんなもん。
僕の解釈、論理展開が妥当なものかは分からない。しかし、こういった「ときに人の命を奪っていく、人の力の及ばない何かとの対峙」というテーマの方向性は他の瀬戸口廉也作品にも幾つか共通していると思っていて、また最終的に導き出される登場人物たちの答えも含めて、僕が大いに好ましいと思っているところでもある。
あと各ルートで散々ロボットみたいだと揶揄されたり、自分自身でも己と他人の感覚のズレを意識する場面が出てきたりする対馬馨について、彼はそれでも他人と関わりを持ち優しさをもって接しようとしていて、こういった馨のキャラクター造形にも瀬戸口廉也らしさが良くあらわれていて良かった。つまり、「人と人とが分かり合うのはとても難しいことだけれど、それでも誰かに優しくすることは出来る」というものだ。優しい話を書くよな、と思う。
……などと、各ルートの思いつきなんかをつらつらまとめたり書いたり消したりしてるうちに考えたこととして、「でも他人にこれをバンドものとして触れ込んで薦めるのはちょっと抵抗あるな……」というのがあった。
いや、勿論主にバンド活動を通して物語は語られるわけだけど、バンドであることと音楽の追求と、どっちが手段でどっちが目的かと言われると、やはりバンドは手段で、目的は音楽の追求にあると言わざるを得ないだろう。
序盤から中盤くらいまではバンドならではのあるあるネタ的な楽しさや苦しさといった部分にスポットが当てられるが、後半になるにつれて物語は「音楽とは何か」という引力に吸い寄せられていく。
音楽とどう向き合って生きていくのか、音楽とは何か、音楽の神はいるのか、そういったところへ物語は収斂していくわけで、バンドじゃなくても同じものが出来るかというとそうではないだろうし、不可分なところもあるには違いないのだが……とはいえやはり、「『MUSICUS!』のテーマは?」という問いに対する答えは「バンド」ではなく、「音楽」になるんじゃねえかなと、僕はそう思う。
音楽の探求から降りる弥子ルートだけは……と思ったけど、これを唯一挙げるとそれはそれで角が立ちそうだしな……。
なので、諸事情により変更となったタイトルについてもちょっと残念だなという思いが僕にはある。『MUSICUS!』とはラテン語で「音楽家」を意味するとのことだが、最後まで読むと、やはり「音楽」を意味する『MUSICA!』の方がしっくりくるタイトルだったんじゃないかなと思った。
とはいえこんなものは些事であり、評価を僅かにも左右するような話ではない。あとよく考えたら僕はあんまりコンテンツを人に勧める人間じゃなかったしな……。でもまあ、もし、万が一『MUSICUS!』をやっていないのにここまで読んだ人がいるなら、買ってみると良い。
あとそうだ、最後にEDムービー。これはどれも良かった。映像技術についてはまったくの門外漢であんまり言うことはないんだけど、素人目にもどれも限られた素材に様々な知恵と工夫を凝らしているのが分かって愛を感じた。単純な好みの順番でいうと「めぐる → 弥子 → 三日月 → 澄」という具合。以上。
<DL版(15禁)>
<パッケージ版(18禁)>
サンティアゴ巡礼④
ここまで見ている物好きな人がいればお気付きになられただろうが、もうダイジェスト的な記録とすることは完全に放棄しています。僕には要点を掻い摘んで記述を最小限に抑える技能というものが欠けているんです。どうしても取り留めもなく記憶にある限りの出来事を羅列しようとしてしまう。当初の予定よりもかなり続きそうだから、そのうちタイトルも少し直していこうと思う。
というわけで日本を発って3日目の朝。サンティアゴ巡礼としては初日。夜明け前にS.Jの街を出た。外は深い霧。他の巡礼者がぽつぽつと歩いている様子が見えるが、数はかなり少ないように思えた。写真の撮影時間を見るとちょうど6:00くらいだった。
事前に日本人の巡礼者の記録などを見ると皆かなり早起きしていたので普通だと思っていたが、実際に歩いてみるとこの時間から歩きだしているのはかなり早い方であることが分かった。
ちなみに初日は巡礼事務所で案内を受けたロンセスバージェスではなく、そこから更に進んだスビリという町を目標地点に設置していた。ロンセスバージェスまでは距離にして約20km、スビリまではロンセスバージェスから更に20km以上先、つまり合わせて40km以上を初日に歩くことにしていた。
サンティアゴ巡礼において一日に歩く距離はおおよそ15~25kmくらいであることが多い。30km歩けばかなり頑張った方だ。巡礼を始めてから日数が立ち、身体が歩くことに慣れていてもそれくらいであるのに、僕は初日、しかもピレネー山脈を越えなければならない道程であるにも関わらず高い目標を設定してしまったのだ。
今思えば相当アホなのだが、これには一応きちんとした理由がある。
S.Jから始まるサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路、いわゆる「フランス人の道」は総距離約800kmである。通常、この道を歩くに際して巡礼者が目標として設定する移動日数は1.5ヶ月ほどだと言われていて、毎日歩いたとして、一日おおよそ20km歩けばゴールすることが出来る計算だ。多くの人々は朝から昼まで4~6時間ほど歩き、その日の宿泊地で荷物を下ろして昼食を食べ、午睡を取り、夕食を食べて早めに就寝して翌日に備える。
それに対して僕が目標として設定した移動日数はたったの3週間だった。様々な事情によってそれだけの猶予しか用意出来なかったのだ。だから、あらかじめ途中の幾つかの都市を電車やバスでショートカットする算段も立てていた。
しかし、初日だけは確かめずにいられなかった。本当にこの目標日数内に徒歩だけでゴールできる見込みはないのか? 毎日休まず40km歩くことができればいけるんじゃないか? と。
まあ、この考えの甘さに対する報いは即日受けることになるのだが。
ちなみに今回は服装に関してもミスをしていて、スペインの5月の気温はざっくり温暖であろうという理解で行ったところ、地域によって変わるものの最低気温は10℃を切り、最高気温は40℃近くになるという異常な寒暖差があることを後から知った。
歩き続けるのだからさほど温かい格好をしなくて良かろうと防寒に対して無策このうえない用意だったため、早朝や山の上の方、また日陰の続く森の中などでは身体が芯から冷えるような寒さで参った。通過ルートの標高の高いところでは日陰に雪が残っていることさえあった。
ともあれS.Jの町を抜け、まずはロンセスバージェスを目指す。
看板の上から3つ目と4つ目に青地に黄色い放射線みたいなマークが描かれているが、これが巡礼路の方向を示す目印だ。
巡礼を通して巡礼者たちは常にこの記号と、もう一つ黄色の矢印を目印として歩いていくことになる。この目印の出現頻度は非常に高く、町中や分かれ道、道なのか分かりづらいルートに入っていく場所なんかには必ずといって良いほど設置されていて、うっかり見落としさえしなければほぼ迷うことはないようになっている。逆に言えば下手なところで見落とすと死ぬ。
黙々と山を登り、ふと開けた場所に出て下の方へ目を向けると霧が雲海のように地表を覆っていた。曇り空も相まって清麗な山の空気といった感じはなく、重々しい鈍色の風景が広がる。
しばらくすると遠くの雲に切れ間ができ、そこから朝日が覗いた。気温も少しずつ上がってくる。雲の流れがめちゃくちゃ早かったことが印象に残っている。
時間の経過と共にいつの間にか雲も霧もほとんどなくなっていく。山の斜面では放し飼いの家畜が好き勝手に草を食んでいる。
なぜこんなにボケた感じになっているのか不明だが、さっき書いた通り道中のあちこちにこんな感じの目印がある。賽の河原みたいになっている理由は分からない。
山道はハイキングコースのようななだらかな坂が長く続くところもあれば、手を使わなければバランスを取るのが難しい段差の激しい場所もある。岩肌は朝露に濡れて滑って結構危ない。
スタート地点の町であるS.Jはまだフランスだと先日書いた。じゃあ、スペインに入るのはどこかというと、ここピレネー山脈の途中だ。
S.Jを出て約4時間、まもなくスペインというところにある猫の額のような僅かなスペースにカフェと売店を兼ねたバンが停まっていて、この看板はそこに置かれているものだ。なんと日本語まで書かれている。
ここまで山を登ってきた人々は重い荷物を下ろして安心したように笑顔で会話を交わしていた。ここで飲んだごく普通のココアは疲れもあってか、やけに美味かった。
霧の向こう側へ消えていく人々。
だんだん森の中へ入っていく。
木に書かれた矢印がなければ一発で遭難しそう。
見づらいが黄色の矢印の左に「RONCESVALLES」とある。
ロンセスバージェス着。ロンセスバージェスは一般のホテルや巡礼者用のアルベルゲ、あとは協会くらいしかない場所で、宿場と形容するのが正しいように思う。
この写真の撮影時間を見ると12:30くらい。出発から既に6時間以上経過していた。まだ履き慣れないトレイルランニングシューズ(重いのでトレッキングシューズはやめた)で山道を歩き回ったせいで両足に靴ずれができているし、頻繁に坂や段差を降りるためつま先にも負担を感じていた。
が、まだ歩けそうなので歩くことにした。ロンセスバージェスを通過したことの証明に巡礼事務所へスタンプを貰いに行く。カウンターの中にいるオレンジ色のチョッキを着たスタッフに声をかけると空いているアルベルゲを案内してくれるような素振りを見せたが、それを断ってクレデンシャルにスタンプだけを貰うとおかしな顔をしていた。
それから昼食のためバルへ立ち寄った。まだ20km以上進む必要があるため、歩きながら食べられるようボカディージョ(バゲットのサンドイッチ)を2本注文した。チョリソーとチーズを1本ずつ。1本確か4€くらいだったと思う。
カフェ・コン・レチェ(カフェラテ)を飲みながら10分ほど待っていると店員の女性がボカディージョの入った包みを袋に入れて渡してくれた。受け取ったそれは写真の通り、めちゃくちゃデカかった。子供の二の腕くらいある。ちなみに写真はチョリソーの方で、軽く焼いたバゲットの中にシャウエッセンくらいのサイズのチョリソーが9本もみちみちに詰め込まれている。当然の如く1本で満腹になったので、もう1本は非常食にした。
少しだけ休憩して再び歩きだす。
小さな町を抜けのどかな風景の中を黙々と歩く。
闇への誘い。
ちなみにロンセスバージェスを抜けてから1人の巡礼者にも遭遇せず、このあたりから内心「これはひょっとしてやべーのでは?」と思いはじめる。
穏やかで清らかな水の流れに反して、爪先が悲鳴を上げている。恐ろしくて靴下を脱いで確認する気にはならないが、尋常でない痛みがあったので靴を脱いでサンダルに履き替えた。こんなこともあろうかとサンダルはキーンのスポーツサンダルを用意していたのだ。
キーンのスポーツサンダルは爪先が覆われるタイプで小石や砂利がほとんど入ってこないし、足の甲全体とかかとを固定するので山道でも安定して歩き回れて中々良い。ただしゴム製であるため汗が吸収されず蒸発もせず、長時間履いていると足が異臭を発しだすので注意されたい。
んで、山を出たり入ったりまた小さな町を抜けたりしたはずだが、このあたりからしんどすぎて碌な写真がない。
殺意の強い山道。
ようやくスビリまであと4.2kmの看板が出現。
遂に辿り着いた。時刻は18:33。まだ日が落ちるには時間があるが、町の中はひっそりとして歩いている人間もほとんどいない。取り敢えず町の入り口にある案内看板で宿の位置を確認した。
まずは宿泊を予定していた100人近く泊まれる公設のアルベルゲを目指したのだが、到着してみると雰囲気がおかしい。人の気配がないのだ。入り口は閉ざされていて、窓から中を覗いてみると、やはり誰もいない。理由は分からないが休業中のようだった。
そしてここからが大変だった。スビリは小さな町で、この大人数が入れるアルベルゲがなければ他に泊まれる場所が非常に少ない。時刻は19:00を回っていて、周囲のモーテルを回るもどこも空きがない。僕のようにアルベルゲに泊まるつもりだった多くの人々が他の宿泊施設に押し寄せていたのだ。そして彼らは今日、ロンセスバージェスを出発し昼間にスビリへ到着していた人々でもある。遅くまで歩き続けることが宿無しのリスクを孕むことを僕は初日にしてここで思い知った。
何件か回り、断られ続けるうちに曇天の空から雨が降り出した。雨具を取り出す気力が出ず、日本から持ってきたガイドブックを開き、町の案内にはない宿泊施設へ向かった。
そこは民家の1室を宿泊用に誂えた個人経営のアルベルゲのようだった。門の外からキッチンの窓が開いているのが見える。中では巡礼者と思しき男女数名が楽しそうに料理をしていた。
玄関扉のチャイムを鳴らしてしばらく待つと、顔中にピアスをした若い女性のスタッフが現れた。英語が通じるようだったので拙いながらもベッドが空いていないかを尋ねるも、彼女は気の毒そうな顔で「空きはない」と言った。
よほど僕が絶望的な表情をしていたのか、彼女は「もう全ての宿泊施設を回った?」と尋ねてきた。僕は地図アプリを開いて「このあたりは回った」と言うと、彼女は「ひょっとしたらこのホテルなら空きがあるかも」と、町の外れのホテルを指し示す。
「そこが駄目だったら……」と彼女は何やら聞き取れない言葉を言いながら地面を指差し、両手を合わせて傾げた頭の耳にそれを当てるジェスチャーをしたので、僕は初日にして雨のなか野宿することを覚悟したのだった。
結局、彼女が示してくれた最後のホテルに泊まることが出来た。
ほとんど10€以下で泊まれるアルベルゲと比べそのホテルは40€くらいで非常に高かったが、背に腹は変えられない。部屋で荷解きをすると全身に疲労が襲いかかってきた。そして唐突に空腹を覚えたので、ホテルの受付を兼ねる1階のバルへ食事に行った。
コースメニューは肉か魚、肉なら牛・豚・羊から選ぶことが出来て、僕は牛肉を注文することにした。写真からも感じ取れそうだがあまり美味くはないし筋部分は噛み切ることが不可能なほど硬かったが、それでも温かいものが食べられて人心地がついた。
部屋に戻ってシャワーを浴びながら浴室で洗濯をした。荷物を最小限に抑えるため、毎日洗濯をすることを前提に移動中の服装は2セットしか持ってきていないのだ。
シャワーから出て、痛みの激しい爪先の応急処置をした。左足の親指と、右足の薬指、それぞれの爪がどす黒く変色していた。消毒してからヨードチンキを塗り、ガーゼを当ててテーピングを巻いた。かかとや足の小指にできた靴ずれの水ぶくれに糸を通した針を刺し、水を抜きつつ別のところから針を貫通させて水ぶくれ内部を通った糸を縛る。
処置をしながら、800kmを3週間で駆け抜ける目論見の一切を手放す決心をした。
ちなみに後から道中に出会った日本人に聞いたところ、スビリでは僕が到着した日以外でも宿泊難民が続出していたらしい。ただ、最悪の場合でも町の体育館で雑魚寝が出来たとのことで、どうやら最後に立ち寄ったアルベルゲのスタッフが示したジェスチャーはそういうことだったらしい。
すっぽんの立ち位置
このたびすっぽんというものを初めて食べる機会に与った。
店は野毛のなんとか言うところで、客席は全て座敷であり、店に入るとすぐ靴を脱ぐようになっている。座敷には4人席が4組と5人分くらいのカウンターが備えられていていずれも掘りごたつ。思ったよりは客が入るようになっていて、僕と同行者は4人席の方に案内された。
注文はコースを頼んだ。メニューを見ると小・中・大と分かれていて、今回頼んだは中コース。1頭料理と書かれているから、恐らく調理するすっぽんの大きさが違うのだろう。カウンターの方に目をやると、奥に水槽があって中にすっぽんたちが入れられている。一匹、ちょっと小ぶりかなというサイズのすっぽんが万歳するようにこちら側へ腹を見せながら水槽をよじ登ろうとしていた。
しばらくしてまずはすっぽんの血を日本酒で割ったものと、胆汁を日本酒で割ったものが出てきた。店主と思われる女性がそれぞれの効能を説明してくれる。
「すっぽんの血は滋養強壮、胆汁には消化促進の効果があります」
何故か水商売っぽいメイクと雰囲気の店主の説明に相槌を打ちながら、「胆汁って口に入れることがあるんだ」などと話す。ところで血液には滋養強壮効果があるという言説には特に何も思わないのだが、胆汁に消化促進の効果があると言われるとどうも疑わしい気持ちになってしまう。そのまんま過ぎるというか、確かに生物の体内で分泌される胆汁の機能としてはそうだが、別の生き物のそれを経口摂取して効果あんのか? という。
味については血はほとんど日本酒そのもの、胆汁はかなり苦くて同行者共々息を止めて一気に飲み干した。効果の疑わしい不味いものを敢えて口にするのは道楽だよなとエンタメを感じたりなどした。
コース料理の内容は血と胆汁の日本酒割り、肝と白子付きの刺身、唐揚げ、肝の串焼き、そしてすっぽん鍋というものだった。
どれも美味しく、すっぽんという生き物は捨てるところのほとんどない、どこを食っても美味い優秀な食材であるというのは本当だった。個人的にすっぽんに関して勘違いしていたところとして、僕はすっぽんの甲羅はすべてゼラチン質であり全体を食べられるものだと思っていたのだが、甲羅のベースは普通に硬く食えない部位であることを知った。
ただ、どこをどう食っても美味いすっぽんであるが、刺身やら唐揚げやら鰻のタレの味がする肝焼きやら種々の食い方において果たしてすっぽんがベストの食材である必要があるのか、と言われると別にそうでもないなという印象だった。
すっぽんという食い物についてざっくりとした僕の理解としては「鳥っぽさと魚っぽさを併せ持つ何か」というものだ。鳥と魚、それぞれの素材に応じた調理法を援用しても十分に美味いのがすっぽんであるが、たぶんそれぞれの良い素材を使った方が美味いだろうなと思ってしまったのだ。
よって僕のなかのすっぽんは高級且つ高水準の代替食材、というポジションに置かれることになった。
唯一、鍋だけはすっぽん独特と言うほかない味わいの出汁が出ていて、代表料理とされるだけあるなと思った。まあ、ただこれも数多ある鍋の出汁の種類の一つで突出したものだとは思えなかったのであるが。
どうも不満げな書きっぷりになってしまったが、実際すっぽんが優れた食材であることは疑いようがない。一匹丸ごとを使い、様々な部位を様々な調理方法を用いて食べるのはエンタメ的であるし、味も良い。腹もすっぽん初体験の好奇心も十分に満たされて良かった。
あとは途中、店内にがっしりした体格の男性とも女性ともつかない水商売風の格好をした人物が現れて厨房へまっしぐらに入っていった。この店の建物の2階にはフィリピン系のニューハーフバーが入っているらしく、どうやらオーナーが同じであるらしい。オーナーはやはり店主の女性であろうと入店から感じていた違和感の答え合わせができて、こちらも良かった。そんなとこ。
R.I.P
サンティアゴ巡礼③
日本を出て2日目。
前日は時間の都合上パリのバイヨンヌ駅付近に宿泊した。この日は巡礼のスタート地点の街であるS.Jへの移動が目標だった。
S.Jまでの移動はパリ・モンパルナス駅からTGV(フランスの高速鉄道)に乗って4時間ほどかかるバイヨンヌという街まで行き、そこからローカル線に乗り換えて更に1時間ちょっとかかる。
TGVの乗車券は日本で事前に購入しておらず、ホテルで前日に取った。なんかチケットを買おうと検索すると案内サイトみたいなところが幾つも出てくるのだが、それらでチケットを買うと手数料が取られるらしく、気合で夜中までかけて鉄道会社のHPから直接購入した。
乗り換えが上手く出来るのか、というかそもそも上手く電車に乗ることが出来るのかすら怪しかったため朝7:00頃のチケットを取るも、翌日目を覚ますと既に6:00を過ぎている。
バイヨンヌ駅は大きな駅で、この時点で僕はどこの入り口から入ればTGVの乗り場に行けるのかも分かっていなかったから、5:00くらいには起きて乗り場の確認などをするつもりでいたのだ。死ぬほど焦りながら荷物をまとめ直してホテルのカウンターに急いだ。
人一人が入るので精一杯の小さなカウンターには前日のチェックイン時にもいた眼鏡の女性が座っていた。カードキーを返しつつ、携帯でTGVの電子チケットを見せて駅にはどう向かえばいいのか必死に尋ねた。
受付の女性は僕の手から携帯を取るとチケットの内容を確認し、続いて地図アプリを見せるとTGVの乗り場に最も近い駅入り口までのルートを指で示してくれた。時間は既に6:30近くになっている。礼の言葉もそこそこにカウンターを離れようとする僕の顔があまりに不安そうな表情をしていたのか、「easy mission」と笑って言ってくれた。
僕は内心「笑いごとちゃうで」と思いながらホテルを飛び出してまだ薄暗い街中を急いだ。駅までは結局10分もかからずに到着した。電光掲示板と電子チケットを見比べながら乗り場を目指す。
電子チケットのQRコードを機械に通して改札を抜け、無事に乗車予定のTGVを発見した。しかし、目の前の車両が何号車なのかがいまいち分からない。近くの駅員の格好をした男性にチケットを見せて尋ねようとしたものの、「自分には分からない」と禄に相手をしてくれない。業務外のことは一切しないというグローバルな労働観をさっそく味わいつつ、何とか自分の座席を発見して席に着いた。
のだったが、いきなりトラブルに見舞われた。発射前の車両点検で何か不備が見つかったらしく、出発が遅れたのだ。しばらく席に座っていたのだが、何やら未知の言語(勿論フランス語だ)でアナウンスが流れると乗客たちが次々と下車をし始めた。何が起きたのか分からず呆然としていると、斜め前に座っていた男性がジェスチャーで下車を促してくれた。
車両の点検が終わるまで待つ乗客たち。いつ終わるのか全く不明で、もし運行休止になったらどうしようか、払い戻しやチケットの再購入すらも覚束なさそうだから不安で仕方がなかった。
そわそわしていると足元に犬が寄ってきた。これくらいの大型犬もリードに繋いだだけで普通に乗車できるらしい。
その後、なんやかんや1時間近く待たされながらもTGVは走り、無事バイヨンヌへ到着。このあとS.Jへ移動するためのローカル鉄道はかなり時間が空いていたので駅を出て街を散策することにした。
バイヨンヌ駅の外見。作りは立派に見えるが、駅前の空間が工事中でズタボロだった。バイヨンヌにはサント・マリーという大聖堂があるらしく、そこへ行ってみることにした。
歩道の脇に唐突に現れる本格派メリーゴーランド。
サント・マリー大聖堂。元々ロマネスク様式で作られていたものが罹災してゴシック様式で作り直されたらしい。
というわけで初ヨーロッパ、初大聖堂、初ステンドグラスを味わったのだった。ステンドグラスはやっぱきらきらして綺麗でいいな。でも思ったとおり携帯のカメラでは全然上手く撮れないんだよな。デジカメも持っていったけど、道中は歩くのに必死でいちいちデジカメを取り出して撮影する気に殆どならないという罠があった。
バイヨンヌからS.Jへのローカル鉄道にも無事乗車。異常に自然度の高い風景を観ながら電車は進む。途中、森の中を木々のあいだを分け入るように進むような場所もあったりしてなかなか面白かった。
S.Jに到着すると、同じ場所で電車を降りた人々は皆巡礼者で、こぞって同じ方向へ歩いていく。まずは巡礼事務所を尋ねるのだ。
巡礼事務所では巡礼のスタートにあたって、最初の目的地であるロンセスバージェスへの道中に関する簡単なアドバイスや相談に乗ってくれたり、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道中にある宿泊施設(アルベルゲ)の宿泊料や連絡先の書かれたリストが貰えたりする。
また、ここではクレデンシャルという巡礼を証明する手帳をもらうことも出来る。クレデンシャルはスタンプラリーの台紙のようなもので、途中で立ち寄った教会や宿泊施設、カフェやバルなどに置かれているスタンプを押していき、実際に各地を歩いたことの証明とするのである。
巡礼事務所で巡礼者の相手をするのはボランティアスタッフらしい。日本にも協会があって、そこの教会員がいることもあるという話を事前に見かけたように思うが、僕が行った際には日本語というマイナー言語が分かるスタッフはいなかった。
ちなみにアジア圏では日本人は比較的巡礼者がいる方(アジア圏トップは韓国)らしいが、全体で見ればごく少数で年間35万人くらいのうち1500人程度に過ぎない。
S.Jから次の目的地であるロンセスバージェスまでの地図。2つのルートがあって、緑の線は比較的最近できた舗装路を多く通るルート。赤い線は通称「ナポレオンの道」と呼ばれる山道を多く行くルート。いずれもピレネー山脈を超えることになるのだが、どうせなら自然が多い方が楽しいだろうと浅はかな考えで僕は後者を行くことにした。
してしまったのだった。
その日はS.Jのアルベルゲに泊まり、翌朝早朝のスタートに備えることにした。ちなみに僕が泊まったS.Jのアルベルゲは巡礼事務所のスタッフに紹介されたうちの一軒だったが振り返るとめちゃくちゃ値段が高く質もイマイチであり、スタート地点という人口の多さにかまけて足元見てくるやんけ……という具合だった。
夕食は街中の小さなレストランに入った。そのレストランでは巡礼者向けのコース料理で、いわゆる「メヌー」と呼ばれるものが提供されていたのでそれにした。
値段は確か12ユーロくらいでデザートまでついてきて味も量も十分だった。ちなみにスペイン(S.Jはまだフランスだけど)ではコースにドリンクも付いてくるんだけど、ワインを選ぶとボトル一本が出てきたりする。でもここはグラスワイン。あと基本的に料理にはバゲットがついてくるうえ、結構な割合で無限湧きする。
寝床の風景。アルベルゲは基本的に2段ベッドを他人と共有する形になっている。ここは2段ベッドが2セットごとに区切られていて4人部屋のような形になっていた。また、老人の多いサンティアゴ巡礼の道において暗黙の了解として若者は二段ベッドの上にされる運命にあり、特に男はほぼ間違いなくノータイムで上を指定されるのである。
サンティアゴ巡礼②
出発前に地図アプリでスタート地点であるサン・ジャン・ピエ・ド・ポー(以下S.J)からサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道中に通過する予定の町とか村とか集落にピンを指していったのがこれ。
パリとS.Jから僅かに左上にもピンが刺さっているが、パリはモンパルナスのホテル、S.Jの左上は鉄道移動の中継駅であるバイヨンヌである。
というわけで成田空港から日本時間10:35のエールフランスで片道12時間の空の旅へゴー。
アホなので機内食の写真を撮ろうとしていたのを忘れていて残飯&ゴミみたいな写真になったのがこれです。ちなみに機内ではドリンクで赤・白・スパークリングワインが飲み放題で福利厚生が行き届いていた。
先の失敗を教訓に2回目の機内食は食べる前に撮影することに成功するも、やはりアホなのでメインディッシュの蓋を開ける前の写真になった。
機内での過ごし方は基本的に持ち込んだノイズキャンセリング機能付きヘッドホンで「菊地成孔の粋な夜電波」を聴きつつ、Kindle端末で『かぐや様は告らせたい』を読んだり座席正面のモニターで映画を見たりなどして過ごした。『かぐや様は告らせたい』いいよね。僕はハッピーエンドのその後ってヤツが結構好きだから今の恋人関係が成立した後もダラダラやってる感じも気に入ってます。
ちなみにエールフランスだからか、映画のラインナップについ最近日本でも公開された実写版『シティ・ハンター』があったのでちょっと観たりした。
座席は3列席の窓際で、隣にはあとからやってきたフランス人マダムと通路側にその夫が座った。マダムと挨拶を交わすと「フランス語は喋れる?」と聞かれたが、当然これっぽっちも喋れるわけがないので「ノン」と返すと、「私は英語が出来ないから」というようなことをフランス語で(多分)言ったので、これくらいは通じるだろうと僕は「me too」と言ったらおかしな顔をしていた。
これ、その時は通じなかったのかなと思ったんだけど今振り返ると「フランス語も英語も出来ないのに何しに行くんだ?」の顔だったような気がしてきたな……。
シャルル・ド・ゴール空港付近の下界風景。成田空港のそれとはだいぶ雰囲気が違って、いきなりヨーロッパ的風景来たな、と思った。12時間は想像ほどしんどくはなかった。
空港に到着してなんだか良く分からないまま他の人にくっついて空港内の電車に乗ったり階段を降りたりしてるうちに荷物が出てくるところに到着。無事にリュックが射出されてきたのでキャッチして空港バス乗り場へ向かった。
空港バス乗り場っぽいところに辿り着き、待合で少し待っているとパリ市内行きのバスが到着した。チケットは事前にネットで購入してあったのでバスの外でタバコを吸いながらコーヒーを飲んでいた運転手にチケット画面を見せて搭乗。Wi-Fi搭載バスらしいかったが、繋いでみるとあまりにも低速過ぎてTwitterくらいしか出来なかった。
ちなみに今回、僕は海外での通信用SIMカードなどを用意することに頭が回っておらず、Wi-Fiスポットがなければ一切情報入手不可という縛りプレイを実施しました。道中出会った70歳近くの爺さんでも用意していたというのに。
パリ市内に到着したのは19:00前くらいだったのだが、まだ普通に昼間のような明るさで驚いた。この時期(5月)のパリは、日没時間が21:00くらいだったらしい。朝は6時少し過ぎると日が昇りだす。
実際の日照時間にどの程度差があるのかは分からないが、人間が生活する時間という観点で見れば圧倒的にパリの方が日照時間長いだろう。日照時間はそこに住む人間の精神に影響を与えるというのは良く聞く話で、坂口安吾も出身地の新潟について曇りの日が多いから新潟は自殺者が多いのだ、というようなことを言っていた。パリの往来を行く人々がやけに自信有りげな様子に見えるのも日照時間が影響しているんだろうか、などと思った。
翌日は早朝にモンパルナス駅からTGV(フランスの新幹線みたいなやつ)でバイヨンヌへ向かわなければならないので、モンパルナス駅近くのホテルを取っていた。事前予約で一泊6000円くらいだったと思う。宿泊料金は支払い済みだったのにチェックインのときに1ユーロだか2ユーロだかを請求されて焦った。たぶん宿泊税とかいうものらしい。
パリ市内でこの値段だとホテルの質がやばそうだと思ったのだが、ちょっと古いくらいで小綺麗にしており、シャワーも高圧高温と案外悪くなかった。
ただ窓から外を見ると窓際にプランターが飾ってあるのだが、謎の木の棒とタバコの吸い殻がガーデニングされており、やっぱりやべえ街なのでは? という気もしてきた。
部屋に荷物をおいて、夕食を買いに外に出たついでに付近を少し歩き回ったのだが、印象としてめっちゃ治安悪そうだった。道は汚くゴミが散乱していて、壁にはグラフィティ、市運営(?)レンタル電動キックボードがあちこち適当な場所に転がっている。
パン屋でバゲットっぽいやつと、個人商店みたいなところでビールとハムを買って食べて初日を終えた。
サンティアゴ巡礼①
もう既に半年が過ぎていて今更感がすごいが、このまま書かずにいるのもどうかということで、写真などを見ながら思い出せる範囲で何回か投稿を分けながら書いていくことにする。
今年の5月~6月にかけて、僕はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼に行ってきた。
サンティアゴ・デ・コンポステーラとはスペイン北西部にある街で、ローマやエルサレムと並ぶキリスト教の巡礼地として数えられている。
サンティアゴを目指す巡礼のルートは多岐に渡るのだが、最もメジャーなルートはフランスとスペインの国境近く、またピレネー山脈の麓でもあるサン・ジャン・ピエ・ド・ポーという街をスタート地点とし、スペイン北部を東から西へ約800kmの距離を横断する形を取る「フランス人の道」というものであり、今回僕はこの道を使った。
経緯や動機なんかについては過去の日記で触れているのだが、一言で言えば目的意識や先の展望などなく衝動的なものだ。僕は過去中学・高校とキリスト教学校に通っていて、宗教のなかでも比較的肌に合うとはいえクリスチャンというわけでもない。
巡礼に赴くことにした動機を強いて言うなら、旅というものを一度してみたかったというのはあるかもしれない。また、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は日本の熊野古道と並ぶ道そのものが世界遺産に指定されていて、その道中の風景の美しさは巡礼を体験した人々の記録からも読み取ることができた。僕もその中で美しい何か、たとえば己の心象風景に刻まれている景色に近いものをこの目で見ることが出来たならラッキーだな、くらいの思いはあった。
パスポートや航空券や巡礼開始前のホテルの手配など、最低限の手続きを終えると荷造りをした。歩くのに集中するため、荷物はリュックサック一つに収まる分だけにする必要がある。目安として体重の10%程度という話をどこかで見かけた気がするが、当時の体重からすれば6kg強くらいに収めるべきところ、最終的には10kg近くになっていたと思う。
リュックと薬品ポーチは一時期登山にはまっていた姉から借りた。なので、リュックは女物であり内容量も何リットルか忘れたけれど控えめなものだった。どう頑張っても荷物全てをリュックの中に収めることは出来ず、寝袋はリュックの外部に括り付けることになった。荷物はここに写っているものと、巡礼中の宿泊施設到着後の移動に使うサンダルで全てだ。
ちなみにBluetoothの折りたたみキーボードが写っているが、これは愛用のiPhoneSEとペアリングして旅先の記録に一役買うであると思い購入したものの、一度も使うことなくこの巡礼における荷物・オブ・ザ・荷物となった。
……これ、巻きでいかないと途中で飽きそうだな。
『MUSICUS!』届く
正確には一昨日届いて、つい数時間前にすべてのルートが終わった。
まだ内容について触れるわけにはいかないので端的な感想を述べると、僕はこれを素晴らしい作品だなと思った。
かつて『キラ☆キラ』の前島鹿之助がHAPPY CYCLE MANIAとしてステージに上がり、巡らせた音楽(ライブ)についての想いがあった。『MUSICUS!』はそこに更に踏み込んでいたように思える。
CAMPFIREの支援履歴を見ると7/30とあった。もうあれから1年と4ヶ月の時間が過ぎたらしい。
『MUSICUS!(旧・MUSICA!)』のプロジェクトページを見るとリターンの発送予定は2019年6月とあって、当初予定からは6ヶ月ほど遅れている。活動報告でもその点を謝罪する内容なども送られてきたように思うが、僕は曖昧に日々を過ごすことに長けた気の長い人間であるので一度も待たされているという気持ちになることはなかった。
時間をかけることで作品がより良くなる可能性があって、金銭的な事情等でその試みが許される環境ならば是非そうすべきだろうと思う。何年もかけて書いた小説が、ゲームが、消費(僕はこの言葉が好きではないのだが)されるのに必要なのはその数百、数千分の一の時間に過ぎない。
なんか改めて考えるとなんとなくフェアじゃない感じがするんだよな。製作者・消費者のあいだのフェア・アンフェアって何だって感じだけど、まあ、なんとなくそう思う。待つことも楽しみの一つ、と言われることもあるようだし、余命宣告などを受けておらずまだまだ健康体を維持したまま生きていきそうな自信のある人間諸氏は気長にやって行きましょう。
ゲームが終わって、すぐ再プレイに入ろうかと思ったけれど、考え直してアルバムをインポートした。今はそれを聴いている。作中の楽曲についても個人的に素晴らしいと思えるものが何曲かあって嬉しかった。
作品の感想はまた後日、ネタバレが解禁されたら書こうと思う。
それまでは、そうだな、いい加減サンティアゴ巡礼の話でも書くか。