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木灘日記

日記を書きます。

サンティアゴ巡礼④

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ここまで見ている物好きな人がいればお気付きになられただろうが、もうダイジェスト的な記録とすることは完全に放棄しています。僕には要点を掻い摘んで記述を最小限に抑える技能というものが欠けているんです。どうしても取り留めもなく記憶にある限りの出来事を羅列しようとしてしまう。当初の予定よりもかなり続きそうだから、そのうちタイトルも少し直していこうと思う。

というわけで日本を発って3日目の朝。サンティアゴ巡礼としては初日。夜明け前にS.Jの街を出た。外は深い霧。他の巡礼者がぽつぽつと歩いている様子が見えるが、数はかなり少ないように思えた。写真の撮影時間を見るとちょうど6:00くらいだった。

事前に日本人の巡礼者の記録などを見ると皆かなり早起きしていたので普通だと思っていたが、実際に歩いてみるとこの時間から歩きだしているのはかなり早い方であることが分かった。

ちなみに初日は巡礼事務所で案内を受けたロンセスバージェスではなく、そこから更に進んだスビリという町を目標地点に設置していた。ロンセスバージェスまでは距離にして約20km、スビリまではロンセスバージェスから更に20km以上先、つまり合わせて40km以上を初日に歩くことにしていた。

サンティアゴ巡礼において一日に歩く距離はおおよそ15~25kmくらいであることが多い。30km歩けばかなり頑張った方だ。巡礼を始めてから日数が立ち、身体が歩くことに慣れていてもそれくらいであるのに、僕は初日、しかもピレネー山脈を越えなければならない道程であるにも関わらず高い目標を設定してしまったのだ。

今思えば相当アホなのだが、これには一応きちんとした理由がある。

S.Jから始まるサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路、いわゆる「フランス人の道」は総距離約800kmである。通常、この道を歩くに際して巡礼者が目標として設定する移動日数は1.5ヶ月ほどだと言われていて、毎日歩いたとして、一日おおよそ20km歩けばゴールすることが出来る計算だ。多くの人々は朝から昼まで4~6時間ほど歩き、その日の宿泊地で荷物を下ろして昼食を食べ、午睡を取り、夕食を食べて早めに就寝して翌日に備える。

それに対して僕が目標として設定した移動日数はたったの3週間だった。様々な事情によってそれだけの猶予しか用意出来なかったのだ。だから、あらかじめ途中の幾つかの都市を電車やバスでショートカットする算段も立てていた。

しかし、初日だけは確かめずにいられなかった。本当にこの目標日数内に徒歩だけでゴールできる見込みはないのか? 毎日休まず40km歩くことができればいけるんじゃないか? と。

まあ、この考えの甘さに対する報いは即日受けることになるのだが。

ちなみに今回は服装に関してもミスをしていて、スペインの5月の気温はざっくり温暖であろうという理解で行ったところ、地域によって変わるものの最低気温は10℃を切り、最高気温は40℃近くになるという異常な寒暖差があることを後から知った。

歩き続けるのだからさほど温かい格好をしなくて良かろうと防寒に対して無策このうえない用意だったため、早朝や山の上の方、また日陰の続く森の中などでは身体が芯から冷えるような寒さで参った。通過ルートの標高の高いところでは日陰に雪が残っていることさえあった。

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ともあれS.Jの町を抜け、まずはロンセスバージェスを目指す。

看板の上から3つ目と4つ目に青地に黄色い放射線みたいなマークが描かれているが、これが巡礼路の方向を示す目印だ。

巡礼を通して巡礼者たちは常にこの記号と、もう一つ黄色の矢印を目印として歩いていくことになる。この目印の出現頻度は非常に高く、町中や分かれ道、道なのか分かりづらいルートに入っていく場所なんかには必ずといって良いほど設置されていて、うっかり見落としさえしなければほぼ迷うことはないようになっている。逆に言えば下手なところで見落とすと死ぬ。

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黙々と山を登り、ふと開けた場所に出て下の方へ目を向けると霧が雲海のように地表を覆っていた。曇り空も相まって清麗な山の空気といった感じはなく、重々しい鈍色の風景が広がる。

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しばらくすると遠くの雲に切れ間ができ、そこから朝日が覗いた。気温も少しずつ上がってくる。雲の流れがめちゃくちゃ早かったことが印象に残っている。

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時間の経過と共にいつの間にか雲も霧もほとんどなくなっていく。山の斜面では放し飼いの家畜が好き勝手に草を食んでいる。

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なぜこんなにボケた感じになっているのか不明だが、さっき書いた通り道中のあちこちにこんな感じの目印がある。賽の河原みたいになっている理由は分からない。

山道はハイキングコースのようななだらかな坂が長く続くところもあれば、手を使わなければバランスを取るのが難しい段差の激しい場所もある。岩肌は朝露に濡れて滑って結構危ない。

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スタート地点の町であるS.Jはまだフランスだと先日書いた。じゃあ、スペインに入るのはどこかというと、ここピレネー山脈の途中だ。

S.Jを出て約4時間、まもなくスペインというところにある猫の額のような僅かなスペースにカフェと売店を兼ねたバンが停まっていて、この看板はそこに置かれているものだ。なんと日本語まで書かれている。

ここまで山を登ってきた人々は重い荷物を下ろして安心したように笑顔で会話を交わしていた。ここで飲んだごく普通のココアは疲れもあってか、やけに美味かった。

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霧の向こう側へ消えていく人々。

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だんだん森の中へ入っていく。

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木に書かれた矢印がなければ一発で遭難しそう。

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見づらいが黄色の矢印の左に「RONCESVALLES」とある。

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ロンセスバージェス着。ロンセスバージェスは一般のホテルや巡礼者用のアルベルゲ、あとは協会くらいしかない場所で、宿場と形容するのが正しいように思う。

この写真の撮影時間を見ると12:30くらい。出発から既に6時間以上経過していた。まだ履き慣れないトレイルランニングシューズ(重いのでトレッキングシューズはやめた)で山道を歩き回ったせいで両足に靴ずれができているし、頻繁に坂や段差を降りるためつま先にも負担を感じていた。

が、まだ歩けそうなので歩くことにした。ロンセスバージェスを通過したことの証明に巡礼事務所へスタンプを貰いに行く。カウンターの中にいるオレンジ色のチョッキを着たスタッフに声をかけると空いているアルベルゲを案内してくれるような素振りを見せたが、それを断ってクレデンシャルにスタンプだけを貰うとおかしな顔をしていた。

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それから昼食のためバルへ立ち寄った。まだ20km以上進む必要があるため、歩きながら食べられるようボカディージョバゲットのサンドイッチ)を2本注文した。チョリソーとチーズを1本ずつ。1本確か4€くらいだったと思う。

カフェ・コン・レチェ(カフェラテ)を飲みながら10分ほど待っていると店員の女性がボカディージョの入った包みを袋に入れて渡してくれた。受け取ったそれは写真の通り、めちゃくちゃデカかった。子供の二の腕くらいある。ちなみに写真はチョリソーの方で、軽く焼いたバゲットの中にシャウエッセンくらいのサイズのチョリソーが9本もみちみちに詰め込まれている。当然の如く1本で満腹になったので、もう1本は非常食にした。

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少しだけ休憩して再び歩きだす。

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小さな町を抜けのどかな風景の中を黙々と歩く。

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闇への誘い。

ちなみにロンセスバージェスを抜けてから1人の巡礼者にも遭遇せず、このあたりから内心「これはひょっとしてやべーのでは?」と思いはじめる。

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穏やかで清らかな水の流れに反して、爪先が悲鳴を上げている。恐ろしくて靴下を脱いで確認する気にはならないが、尋常でない痛みがあったので靴を脱いでサンダルに履き替えた。こんなこともあろうかとサンダルはキーンのスポーツサンダルを用意していたのだ。

キーンのスポーツサンダルは爪先が覆われるタイプで小石や砂利がほとんど入ってこないし、足の甲全体とかかとを固定するので山道でも安定して歩き回れて中々良い。ただしゴム製であるため汗が吸収されず蒸発もせず、長時間履いていると足が異臭を発しだすので注意されたい。

んで、山を出たり入ったりまた小さな町を抜けたりしたはずだが、このあたりからしんどすぎて碌な写真がない。

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殺意の強い山道。

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ようやくスビリまであと4.2kmの看板が出現。

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遂に辿り着いた。時刻は18:33。まだ日が落ちるには時間があるが、町の中はひっそりとして歩いている人間もほとんどいない。取り敢えず町の入り口にある案内看板で宿の位置を確認した。

まずは宿泊を予定していた100人近く泊まれる公設のアルベルゲを目指したのだが、到着してみると雰囲気がおかしい。人の気配がないのだ。入り口は閉ざされていて、窓から中を覗いてみると、やはり誰もいない。理由は分からないが休業中のようだった。

そしてここからが大変だった。スビリは小さな町で、この大人数が入れるアルベルゲがなければ他に泊まれる場所が非常に少ない。時刻は19:00を回っていて、周囲のモーテルを回るもどこも空きがない。僕のようにアルベルゲに泊まるつもりだった多くの人々が他の宿泊施設に押し寄せていたのだ。そして彼らは今日、ロンセスバージェスを出発し昼間にスビリへ到着していた人々でもある。遅くまで歩き続けることが宿無しのリスクを孕むことを僕は初日にしてここで思い知った。

何件か回り、断られ続けるうちに曇天の空から雨が降り出した。雨具を取り出す気力が出ず、日本から持ってきたガイドブックを開き、町の案内にはない宿泊施設へ向かった。

そこは民家の1室を宿泊用に誂えた個人経営のアルベルゲのようだった。門の外からキッチンの窓が開いているのが見える。中では巡礼者と思しき男女数名が楽しそうに料理をしていた。

玄関扉のチャイムを鳴らしてしばらく待つと、顔中にピアスをした若い女性のスタッフが現れた。英語が通じるようだったので拙いながらもベッドが空いていないかを尋ねるも、彼女は気の毒そうな顔で「空きはない」と言った。

よほど僕が絶望的な表情をしていたのか、彼女は「もう全ての宿泊施設を回った?」と尋ねてきた。僕は地図アプリを開いて「このあたりは回った」と言うと、彼女は「ひょっとしたらこのホテルなら空きがあるかも」と、町の外れのホテルを指し示す。

「そこが駄目だったら……」と彼女は何やら聞き取れない言葉を言いながら地面を指差し、両手を合わせて傾げた頭の耳にそれを当てるジェスチャーをしたので、僕は初日にして雨のなか野宿することを覚悟したのだった。

結局、彼女が示してくれた最後のホテルに泊まることが出来た。

ほとんど10€以下で泊まれるアルベルゲと比べそのホテルは40€くらいで非常に高かったが、背に腹は変えられない。部屋で荷解きをすると全身に疲労が襲いかかってきた。そして唐突に空腹を覚えたので、ホテルの受付を兼ねる1階のバルへ食事に行った。

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コースメニューは肉か魚、肉なら牛・豚・羊から選ぶことが出来て、僕は牛肉を注文することにした。写真からも感じ取れそうだがあまり美味くはないし筋部分は噛み切ることが不可能なほど硬かったが、それでも温かいものが食べられて人心地がついた。

部屋に戻ってシャワーを浴びながら浴室で洗濯をした。荷物を最小限に抑えるため、毎日洗濯をすることを前提に移動中の服装は2セットしか持ってきていないのだ。

シャワーから出て、痛みの激しい爪先の応急処置をした。左足の親指と、右足の薬指、それぞれの爪がどす黒く変色していた。消毒してからヨードチンキを塗り、ガーゼを当ててテーピングを巻いた。かかとや足の小指にできた靴ずれの水ぶくれに糸を通した針を刺し、水を抜きつつ別のところから針を貫通させて水ぶくれ内部を通った糸を縛る。

処置をしながら、800kmを3週間で駆け抜ける目論見の一切を手放す決心をした。

ちなみに後から道中に出会った日本人に聞いたところ、スビリでは僕が到着した日以外でも宿泊難民が続出していたらしい。ただ、最悪の場合でも町の体育館で雑魚寝が出来たとのことで、どうやら最後に立ち寄ったアルベルゲのスタッフが示したジェスチャーはそういうことだったらしい。