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木灘日記

日記を書きます。

久々に書くことと言えばこれしかあるまい - 平方イコルスン『スペシャル』最終巻

平方イコルスンスペシャル』が完結したのである。
Web連載ではもう三ヶ月ほども前に最終話が発表されているし、単行本も発売から一ヶ月あまりも経ってしまってはいるが。

最後まで読んで、やっぱり平方イコルスンはめちゃくちゃ面白い漫画を描くよな、と思った。
未だに単行本は目を閉じてえいやっと適当に開いたページを読むだけでも面白いし、これからの活動も楽しみにしていきたい。小説の入手は進んでいません。

他人の感想を探しにいったりもしないので、正直本作がどの程度の人気があるのかが分からないし、きちんと完結してくれるのか不安に思っていたのだが、もう全然、まったく、文句のない最後で良かった。たぶん、予定していた最後まできちんと描くことができていたのではないかと思う。トーチは扱っている漫画も良いものばかりだし、編集部に対する信頼が芽生えました。

結末まで読んでの作品に対する感想としては、現実とは異なるルールや成り立ちの異なる世界を舞台に当たり前の日常をやる、そしてその日常には死・暴力・ホラーといった不穏な要素が含まれる、若しくは現実っぽい世界の中でそういった逸脱を当然の如く受け入れる人間を描く、というのは平方イコルスンの特徴的な作風の一つであると思っていて、短編漫画や小説、果ては『全家畜』でも感じられたエッセンスが終盤の展開を以って前半・中盤のあちこちからも立ち上ってくる感じがあったのが非常に良かった。

スペシャル』は結構コメディに振ってるなと思っていたのだが、やっぱりそれだけではなかったな、というのも。
たとえば笑いを成立させる要因の一つとして「緊張と緩和」みたいな理屈を耳にしたことがあるが、平方イコルスンは物語上で扱われる死・暴力・ホラーといった緊張の要素に対して、物語の展開やオチではなく登場人物の少しズレたリアクションや独特の言葉遣いや言い回しといった部分に緩和を委ねているように感じる。

んで、平方イコルスン作品はコメディ的な作品が多いは多いのだが、前述のような物語自体に付与された重く強い緊張の要素に対して緩和の要素が人物のリアクションで賄われており、それがある程度の尺を与えられた物語で続いていくとどうなるのか、というのが長編漫画である『スペシャル』で明らかになったのではないかと思う。

読者は現実離れした怪力を持つ伊賀をはじめ、伊賀の特異性を当たり前に受け入れつつ自分自身も豊かな個性を持つ登場人物たちのやり取りはちょっと変わったコメディ作品としての読み味を覚えつつ、その実、取り返しのつかないに事態にいつの間にか引きずり込まれているのである。
実際には結末に向けた不穏さは作品の至るところに散りばめられており、自分のように勘の悪い読者でも最終巻を読んだあとには気がつくことが出来る。

「槍」は空から降ってくる(恐らく)超自然的なもので、作中世界では野良(野良?)で発見された場合は警察に知らせる必要があるなど一般にも膾炙されているらしいことが第19話『特別』の葉野の反応からは伺えるし、また槍は現在でも不定期に降ってくるようで学校での避難訓練がシェルターへの避難なのはそれを想定してのものなのは明らかであり、伊賀の頭にはその槍が偶然に突き刺さってしまったのだろうとか、津軽の頬の傷も降ってきた槍が掠めたもので津軽自身の身に何かしらの影響を残しているとか、生きた槍(津軽も含む)同士は共鳴し合うらしいとか、そういった作中の細かな設定部分は直接的な言及や明言こそされないものの結構クリアになったな、という印象だった。
Web連載での初読時に一瞬「???」となった最終話の最後の2コマについても、避難訓練の際に流れたものと同じ警報が鳴り響き、伊賀と葉野は恐ろしげな表情で上空に視線を向ける……という流れは後になって、なるほど、と思った。

それにしてもこの読み味、めちゃくちゃ文学的なものを感じるな。
文学的、というのが何かは分かりません。

伊賀と葉野が互いを想う剥き出しの感情をぶつけ合いながら、しかしそれは今この瞬間の勢いだけの根拠のない物言いであるかもしれないという冷静な思考も持ち合わせつつ、それでも止めどない感情のうねりによって涙は滂沱の如く溢れ出す。
そしてそういった人間の愛情や願い、誓いといった心や高潔さとは無関係に現実はすべてを飲み込み押し流していく(そしてそれでも人生は続く)……というのが切なくも感動的だと思う。
単行本で加筆されたおまけ漫画も良かった。

終盤こそ終始シリアスな展開が続いたものの、3巻辺りまでは不穏さが散りばめられながらもコメディが前面に出た面白さが魅力ではあって、実はそれが一見全く帳尻が合いそうにない世界そのものの不穏さと人物たちのリアクションや言葉、という緊張と緩和によって成立させられていた(そして終盤に向かいそれは徐々に破綻していく)というのは、偏に平方イコルスンの言語センス・言語感覚の為せる技だろう。

気が付けば連載は足掛け8年ほどになったようで苦労のほどが伺えるというものだが、短編は勿論のこと、ぜひまた新しい連載作も描いてくれると良いなと思う。

そして今回、『スペシャル』の完結を記念してトークイベントが開催されるとのこと。
気が付けば残席残り僅かになっているぞ、諸氏! 急げ!