Cork

木灘日記

日記を書きます。

酒を継ぐもの

同じ職場の向かいの席で再雇用として仕事を続けていた爺さんが今年度を以って引退するらしい。

爺さんは再雇用なのに広島から単身赴任してきているというなんか良くわからん存在なのだが、この度の引退表明にて「嫁に帰るのを許された」と冗談めかして言っていた。単身赴任を始めてから少なくとも7年か8年くらいは経っているだろう。物静かで真面目な恥ずかしがり屋だが根は案外頑固だったりして、なかなか愛すべき爺さんだと思う。

爺さんは貯まりに貯まった有給を一切使わず3月いっぱいまで仕事を続けるそうだが、まめまめしく既に仮宿の片付けを始めている。先日の昼休み、いつものように本を読んでいると「梅酒は好きか?」と尋ねられた。
酒なら何でも飲むと答えたら、無造作に鞄から黄色い液体がなみなみと入ったペットボトルを取り出したので死ぬほど警戒した(失礼すぎる)。いや、どうみてもアレにしか見えねえんだもん。当然、中身は梅酒だった。

単身赴任を始めてから毎年、梅酒を漬けては一人楽しんでいたが、引っ越すに際して余剰を処分したいのだという。捨てるには忍びなく、職場で一人特殊な仕事をしている爺さんと仕事以外の話題でコミュニケーションを取るのは僕くらいなので、良ければ引き取ってくれとのことだった。
その試飲のような感じで尿にしか見えないペットボトル入りの梅酒を持ってきてくれたのだ。キャップを捻り匂いを嗅ぐと、爽やかな甘い匂いが香った。糖尿病だろうか。いい加減にしろ。

勿論断る理由はなかった。僕は爺さんも酒も好きだからだ。ペットボトルに入った梅酒は貰って数日で飲み干した。まだ在庫があるのでもっと貰ってくれと爺さんは言い、今度は梅の実も入れてやろうと言った。つまり、なにか、そう、なにか梅の実が通過するような口の広い容れ物を用意する必要に僕はいま迫られている。

どんな容れ物が考えられるだろうか。男の一人暮らしに長期保存用の容器などない。買う、喰う/飲む、捨てるの流れは可能な限りシームレスに実行されるよう最適化されている。
ペットボトルは勿論駄目だ、梅の実が入らない。水筒の類は持っていない。会社には無限に湯と茶が湧き出るマシンが備え付けられている。インスタントコーヒーの空き瓶も駄目だろう。蓋の密封性がクソなので運が良ければ爺さんの鞄の中で、悪ければ僕のリュックサックの中に梅酒をぶちまけることになる。

じゃあ、もうきちんとスクリュー式に蓋が閉じられる容器を新たに用意すべきか? いや、駄目だ、それは出来ない。というかしたくない。僕はタダ酒が飲みたいのだ。タダ酒を貰うためにわざわざ金を出して容器を買うなんて本末転倒じゃないか。
ゴールドラッシュに湧いた19世紀のアメリカでは金の採掘それ自体よりもツルハシを売って儲けたヤツが勝ち組になったのだ。僕はツルハシを買う側に回るつもりはない。そしてこれは被害妄想かもしれない。

ともかく、容器のことを頭の片隅に置きながらしばらく生活しなければならない。タダ酒のために。爺さんへの想いは置き去りにして。しかし安心してくれ爺さんよ、ちゃんとあんたへの餞別は用意してあるんだ。

写真が下手くそで分かりづらいが、陶器のおちょこを買った。金属質な光沢を持つ銀と青が煌めく美しい器だ。きっと気に入ってくれると思う。

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