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木灘日記

日記を書きます。

僕の頭の中のコンバイン - ケン・キージー『カッコーの巣の上で」

 

カッコーの巣の上で

カッコーの巣の上で

 


何年ぶりかの再読になるのだが、読んだ。やっぱりめちゃくちゃ面白いな。

作者のケン・キージーはヒッピーのコミューンを主催していたりとまあそんな具合の人間であるわけだが、ヒッピーという存在に対して僕が大した前提知識もなく、且つ若干の冷笑的な態度の持ち主であることを差し引いたとしても、それでも本作は紛れもない傑作だ。

刑務所の労働から逃れるため精神病棟へやってきた赤毛で筋骨隆々とした快男児であるマックマーフィが精神病院の全てを牛耳るの恐るべき婦長との対決のなかで他の患者へ次第に影響を与え、勇気を与えて人間としての尊厳を取り戻させていく。

小説での語り手は酋長(チーフ)と呼ばれるネイティブアメリカンである。彼は恐怖心から病院内ではろう者のふりをしているという人物だが、マックマーフィにはそれが偽りであることをあっという間に見抜かれてしまう。

マックマーフィの自由奔放で荒唐無稽な振る舞いに次第にチーフも影響されていくのだが、マックマーフィは婦長への反抗の果てに彼女に対して暴力を振るうこととなり、やがてロボトミー手術を施されて人間性を破壊されてしまうのである。

人としての感情を失い、ただ生きて呼吸するだけの肉塊と成り果てて婦長の勝利のトロフィーとして飾られ続ける運命を送ることになったマックマーフィに対して、チーフは彼に死を与えることでその尊厳を守ろうとする。

作中でチーフが度々口にする「コンバイン」という言葉がある。大地を耕し、均す農機のことだが、チーフはそれを人間が個として自由に振る舞うことを許さない社会的からの物理的・精神的な圧力であり要請の暗喩として使用する。僕らが生きる現代でも、この要請は強力に働いたままだ。

ヒッピーというのはこうした社会からの要請に対するカウンターカルチャーなのだろうか。良く分からないが、そうだとしたら僕はかなり同意出来る話だと思った。

金が欲しいとか女が欲しいとか、名誉が、称賛が欲しいという感情が僕にはあまりない。しかし、何か自分の力ではどうにもならないような強制力が世の中には存在するのだという確信があり、そしてそのことが気に入らないのだ。

マックマーフィはそういった気に入らないことに対して正面から挑みかかり、敗北とは言わないまでも再起不能の状態にされてしまった。対してチーフは廃人となったマックマーフィの姿を見て脱出を企てる。

多くの人間が基礎となり今の姿として固定化された社会基盤を今更どうこうすることは出来ない。だから、我々はそういった社会的な規範に則って生きていくのか、それともそこから逸脱して生きていくのかを選ばねければならない。

僕はちゃんと選択が出来るのだろうか。少なくともこれまでは出来ていなかった。今後はどうだろう、自分のことながら、これから社会の規範に則ってきちんと生きていけるような人間であるようには、どうしても思えないのである。

コンバインが目の前に迫ってきているのが分かる。巨大な鋤をエンジンの力で回して田畑をひっくり返しながら、土地全体を均していく。僕は今、コンバインに巻き込まれつつある。